2013年6月27日木曜日

豪首相、ラッド氏が返り咲きへ 人気高く選挙の顔に:資源経済からの脱却が焦点

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● NICHGO PRESS 7月号


日本経済新聞 2013/6/27 0:04
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2604E_W3A620C1FF2000/

 豪首相、ラッド氏が返り咲きへ 人気高く選挙の顔に

 【シドニー=高橋香織】
 オーストラリアの与党労働党が26日実施した党首選でケビン・ラッド前首相(55)が3年ぶりに党首に返り咲いた。
 労働党は下院で単独過半数を確保していない。
 閣外協力する無所属議員らの支持が引き続き得られれば首相に就任する見通しだ。
 与党は国民の人気が高いラッド氏を「選挙の顔」に担ぎ9月に予定される総選挙を少しでも有利に運びたい考えだが、党内の混乱がマイナスに働く可能性もある。

■弱い基盤に悩む

 2010年6月をなぞるかのような党首交代劇だった。
 3年前は支持率が低下していたラッド氏にギラード氏が退陣を迫ったが、今回は攻守が逆転した。

 「党首交代がなければ破滅的な敗退を喫する」。
 この数週間、党首選がささやかれながらも態度を明らかにしていなかったラッド氏は26日、立候補の理由をこう述べた。

 総選挙を3カ月後に控えた与党が党首交代に追い込まれた背景には急速な支持率の低下がある。

 ギラード政権は発足当初から基盤の弱さに悩んでいた。
 国民の間で「もともと信認を与えた覚えはない」という感情が根強い。
 首相として迎えた前回選挙では労働党、保守連合とも過半数を得られず、ギラード氏は無所属議員の支持を取り付け、わずかな差で政権を維持した。

 基盤の弱さに拍車を掛けたのが世界経済の変調と、後手に回った政策運営だった。

 オーストラリアは中国経済の減速で鉱物資源の輸出が鈍った影響などで、13年の経済成長率が3%以下にとどまる見通し。
 経済の苦境が続いているにもかかわらず、ギラード政権は景気浮揚の有効な対策を打つ代わりに教育や福祉への支出を拡大。
 国民の不満が高まった。
 温暖化ガスの排出削減に向けた炭素税を「導入しない」との公約を破ったことや、12年度の財政黒字が未達に終わったことも響いた。

 最新の世論調査によると、労働党の支持率は43%と野党・保守連合の57%を大きく下回り、与党内では政権交代が不可避との絶望的な見方が広がっていった。

■ギラード氏賭け

 「敗者は政界から引退すべきだ」。
 ギラード氏は26日、自ら党首選実施を呼び掛けた。
 同氏は、今年3月にラッド氏への党首交代論が浮上した際に緊急の党首選を実施。「不意打ち」を食らったラッド氏は出馬できず、ギラード氏は党首の座を守った。
 その体験が今回の党首選実施の背景にあるとの見方がある。
 しかし、狙いははずれ、結果は57票対45票の大差での敗北に終わった。

 ラッド氏が首相になれば、選挙戦は五分五分の戦いとの世論調査結果も出ている。
 ギラード氏は9月14日に総選挙を行うと発表していたが、ラッド氏が8月に前倒しする可能性も浮上している。

 もっとも、形勢逆転はそう簡単ではない。
 ギラード氏を支えてきたスワン副首相兼財務相やエマーソン貿易・競争力担当相らが閣僚辞任を表明。
 党内の足並みの乱れを早期に解消できるかが焦点となる。


 ジュリア・ギラードはオーストラリアはめての女性首相。
 豪腕で知られ、小粒サーッチャーと見られていた。
 でもここにきて命脈がつきたということのようである。
 サッチャーは苦境を粘り強く乗り越えてきたが、ギラードにはその才覚はない。
 韓国でも初めての女性大統領が誕生した。
 大統領制は5年の人気を保証している。
 もし、朴槿恵(パク・クネ)の政策に見通しがなく人気が急落したとき、これを交代させる手段がない。
 トップの公選制は権力の集中が行われ、後進国にとっては安定するが、国自体が安定した先進国では行われるものではない。
 アメリカは後進国の遺制を多く引きずっている。
 スーパーチューズデイを始めとする選挙制度は見事に後進国の形をとっている。
 首相の交代が行われにくい制度は民主主義にはなじまない。
 オーストラリアはその点で優秀だが、韓国は選挙制度に瑕疵性を持っている。
 もし仮に朴槿恵が大統領にふさわしくないと思っても、任期終了まで国民はそれに付き合うしかない。
 それを交代させるシステムがない。
 盧 武鉉(ノ・ムヒョン)の悲劇を繰り返すことは韓国国民にとってはいたたまれないだろう。
 トップ公選制は決して国民にといい制度とは思えない。
 例えば、鳩山由紀夫がその選挙制度の利点を生かして4年も居座ったら日本国民はどうなるだろう。
 考えただけでも、誰もがゾーッとすることだろう。
 民主主義とは常にトップを交代できる制度でなければならない。
 柔軟に対応できる仕組みでなければならない。


ロイター 2013年 07月 1日 17:23 JST
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE96004M20130701

首相交代で豪労働党の支持率が上昇、総選挙では依然苦戦か 

[シドニー 30日 ロイター] -
 先月26日に行われたオーストラリアの与党、労働党の党首選でケビン・ラッド前首相が首相の座を奪還したことを受け、労働党の支持率が上昇している。

 ただ、党首戦後初めての世論調査となったギャラクシー・リサーチの調査では、年内に実施される総選挙で労働党に投票するとの回答は49%で、野党の51%を下回った。
 6月初めの調査からは、労働党支持率が4%上昇し、野党との差が縮小した。

 ラッド氏を首相に望むとの回答は51%で、保守連合を率いるアボット氏の34%を上回った。
 15%は意見が決まっていないと回答した。

 調査は党首選でラッド氏が勝利した直後に実施。
 結果は30日付ニュース・リミテッド紙に掲載された。

*デートラインの体裁を修正して再送します。



ウオールストリートジャーナル   2013年 7月 12日 10:46 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324195104578600512828891862.html

オーストラリアの資源ブームは終わった=ラッド首相 
By JAMES GLYNN

 【シドニー】オーストラリアのラッド首相は11日、キャンベラでのジャーナリスト向け会合で講演し、長く続いた同国の天然資源ブームは終わったと宣言した。
 同国の失業率は金融危機の最中にみられた水準に近づいており、経済政策立案者は今後の課題が示された形だ。

 ラッド首相は、鉱業分野の景気減速に対処するための戦略の概要を示した。
 同国では今年、総選挙が行われる。国際競争力に焦点を当てたこの戦略には、労働市場の柔軟化、企業に対する規制の緩和、技術やインフラへの支出拡大などが含まれている。

 首相が厳しい発言をしたこの日、政府が発表した統計によると、失業率は5.7%と、過去4年間での最悪に達した。
 同国の失業率は、リーマン・ブラザーズ崩壊前の2008年には4%の低い水準だったが、金融危機が広まるなかで09年半ばには5.9%の高水準に上昇している。

 天然資源が豊富なオーストラリアは、中国をはじめとするアジア諸国の旺盛な資源需要と大規模な景気刺激策により、金融危機のさなかでも急激な景気減速を回避することができた。
 資源需要と刺激策のおかげで、失業率は他の大半の先進国を大きく下回っていた。

 しかし、このところ中国の景気が減速しているうえ、オーストラリアでは鉱山プロジェクトがほぼ完了して資源産業への投資が弱まっていることから、政策立案者は懸念を強めている。
 例えば中央銀行は、鉱業ブームがピークを迎えるなかで予想される失業者急増を相殺するため、他の経済分野を活発化させようとしている。

 ラッド首相は
 「中国の資源ブームが終わったというのが本当のところだ」
と述べ、経済は「交差点」上にあり、
 鉱業依存からの離脱が政府の「核心的任務」になったと付け加えた。

 資源業界が数千人の人員を削減する中で、オーストラリアの中銀は繰り返し利下げをして過去最低水準とし、消費支出の拡大により小売りや住宅建設など弱い部門を押し上げようとしている。
 天然資源への依存度が最も高い州である西オーストラリア州はレイオフの集中砲火を浴びている。

 バンクウェストの主任エコノミスト、アラン・ラングフォード氏は
 「鉱業依存からの離脱には時間がひどくかかっている
と述べ、
 「資源経済からより広範な経済への移行は期待されている段階で、実現はまだだ
と指摘した。

 6月末に行われた与党労働党の党首選でライバルのジュリア・ギラード氏を破って首相の座に返り咲いたラッド氏は、政策の焦点を経済に移した。
 この返り咲きで労働党の支持率は急上昇している。





【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年6月25日火曜日

「のだめの部屋」、それともゴミ捨て場! :<<日本の話>>





女房の実家を宿にさせてもらった。
両親はすでに他界しているので、姉が管理している。
そこに居候しているのが娘。
その部屋がこれ。
ゴミ捨て場か!
うーん、と考え込んでしまう。
一緒に住んでいたら、こんなこと許さないのだが。
これでピアノがおいてあったら「のだめの部屋」だ。




【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年6月24日月曜日

正岡子規と司馬遼太郎:<<日本の話>>

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●『坂の上の雲ミュージアム』


 前回日本に行ったとき(数年前)は近くの図書館に読書三昧であった。
 目的は宮城谷晶光。
 3,4本読みきった。
 だが、これ大失敗。
 中国の戦国春秋の時期の作品を一気に複数読むと、登場人物ならびにストーリーがごちゃごちゃになり、結果として読み終わったときには印象はあるが、しばらくすると、何がなんだかわからなくなり、ついにはほとんど記憶の中から消えてしまうことになってしまった。
 ちなみに蛇足で付け加えると宮城谷晶光の作品で好きなのは『太公望』と『晏子』である。

 今回は司馬遼太郎。
 棚に『街道をいく』が全巻揃っている司馬好きの家に泊まっている。
 これまで読んでいない小説もそこそこあった。
 引っ張りだしてページをめくる。
 まずは『韃靼疾風録』。
 そして『箱根の坂』と続く。
 この2本は初版本という豪華さ。
  



 
 


 ここまで読んで時間切れ。
 『播磨灘物語』の3巻は借りてスーツケースに入れて持ってきた。


 松山も最近、司馬遼太郎に大変お世話になった街である。
 作品は『坂の上の雲』。
 もし現代小説の中で後世に残るものがあるとしたら、この本だろうと言う人も多い。
 NHKでドラマ化されて一気に世に広まったものでもある。

 司馬遼太郎によって歴史の舞台に引き上げられた人物は多い。
 その最たるものは坂本竜馬。

 

少なくとも私の学生時代には坂本竜馬は維新では脇役でありマイナーな人物であった
 せいぜい出てくるのは、時代劇映画であった。
 新撰組に取り囲まれた坂本竜馬を助けに鞍馬天狗がくる
 そして曰く、
 「坂本さん、薩長連合がなりましたぞ」
 「おお倉田さん、日本の夜明けが近いぞ!」
って程度のちょい役に過ぎなかった。
 その竜馬が見直され、誰でも知っている歴史上の人物になったのは司馬遼太郎のおかげといっていい。
 たった一冊の本、『竜馬がいく』でである。
 維新動乱のはるかな点景が歴史の舞台に引き出され、スポットライトに浮かび上がり、あたかも日本の救世主のような印象を国民に与えている。
 「司馬遼、恐るべし
である。


昭和偉人伝 #8「司馬遼太郎」
http://www.dailymotion.com/video/x1o1a4o_%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D-8-%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E_tv
 』

  ちなみに坂本竜馬の墓は京都にある。
 護国神社の中にあり、中岡慎太郎の墓と並んである。
 学生のころ詣でたことがある。
  その頃はまだ知られた存在ではないためひっそりとあった。
 花を添えた。
 その時、中岡ではなく、倉田典膳(鞍馬天狗)だったら面白かったのにと不純にも思ってしまった。




●『坂の上の雲ミュージアム』


●『坂の上の雲ミュージアム』

 正岡子規、といえば教科書にも出てくる著名な文学人。
 学校の試験にはよくでてくる名前。
 でも、名前のほどにはその中身は知られていない。
 松山出身ながら栄光は同居人であった東京人の漱石に奪われてしまっている。
 うすっぺたいたった一冊の本で、いわく『坊ちゃん』。
 「松山=坊ちゃん」
という等式は日本の標準にまでなってしまっている。

 その肩身の狭い地元人を輝く玉座に引き据えてくれたのが司馬遼太郎。
 松山人にとっては司馬遼太郎とは「感謝、感謝」の人物となる。
その気持ちで作ったのが「坂の上の雲 ミュージアム」。
 「坊ちゃん」は列車になり、坊ちゃん菓子にはなったが、ついに「坊ちゃん博物館」は作られなかった。
 「坂の上の雲」以降、街中が子規一色になった。
 どうでもいいような場所まで観光化された。
 市は「子規記念館」を作った。


●『松山市立 子規記念博物館』他

 で、子規ってなにをやった人?
 教科書ならこうなる、
 「歴史に埋もれていた俳句を近代に復活させた人」
 そして著名な句といえばこれ
 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
 有名ではあるが松山には貢献していない。
 「 松山や秋より高き天主閣」
 これは松山賛歌であるが、でもほとんど誰も知らない。

 松山の宣伝に貢献している度合いを懸案してみると「漱石 坊ちゃん」はなんといっても横綱。
 もしこの薄っぺらい本がなかったら、松山は単に道後温泉のある街以上にはならなかったのではないだろうか。
 次は司馬遼太郎で関脇といったところか。
 そして子規は、地元人には悪いが小結というところになる。
 つまり、誰かが小説のような物の上で遊ばせないないと、人の心には染み渡ってこない。
 典型は吉川英治の「新書太閤記」の秀吉や「宮本武蔵」。
 また、司馬遼太郎なら坂本竜馬。
 司馬遼太郎は子規を「坂の上の雲」で遊ばせた。
 それによって、松山が道後温泉という目玉の他にひと目に多く触れるようになった、といえるのではないだろうか。
 もちろん、松山人にとっては逆に子規は大関の判定であろうと思う。

 また蛇足だが、「坂の上の雲」はもっている。
 これは文庫本で日本から取り寄せた。




 『「坂の上の雲」と司馬遼太郎とその時代』については下記の本がいい。


● 関川夏央著『「坂の上の雲」と日本人』 文庫本2009/10/10 単行本2006/03

 この本からの各巻の概要をコピーしておく。














【 うすっぺらな遺伝子 


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「警察交番」という、世にも奇妙な交番:<<日本の話>>

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●「屋根のない博物館の街:松山」



●「警察交番」って明らかに奇妙ですよね?


 道後温泉から路面電車に乗るのだが、ここで「坊ちゃん列車」に乗ってみる。
 日に数本走っている。
 漱石が松山に赴任してきたころ走っていた電車である。





 運賃は300円。
 ちなみに路面電車は一律150円。
 ということは倍値段。
 がである。
 この列車には定員があって大して乗れない。
 それに列車の運転手とガイド兼車掌が乗っている。
 どうみても利益が出るとは思えない。
 強いていえば赤字路線である。
 観光サービス、観光宣伝として走らせているようである。
 ルートは道後温泉から松山市駅まで。
 途中、「坂の上の雲ミュージアム」ならびに松山城までのケーブルカー駅への大街道駅一ケ所のみしか止まらない。



 松山市駅の前は高島屋デパート。
 地下、すなわちデパチカで昼食にする食品を見つくろう。
 たこ焼き、そしてジャコテン。
 「じゃこてん」というのは地元の魚で作ったさつま揚げのこと。



  ちょっと調べたいことがあって交番を探してみる。
 高島屋の後ろの道にあった。
 交番が置かれているにしては人通りの少ないところ。
 この交番の名前がなんと「警察交番」。
 何かいかめしというか、怖いというか、少々身を引いてしまいそうな交番。
 というより、日本語の成り立ちとしておかしいのではないだろうか。
 交番というのは警察が運営するものであって、それ以外にはあってはならないはずだが。
 ただ「モーレツあ太郎」には日本で唯一の私設交番と民間のおまわりさんが出てくるが。
 正式名称は「松山東警察署市駅前交番」という。
 恐る恐る入ってみる。
 
いろいろ教えてくれた。
 感謝、感謝、なのだが。
 話が止まらない。
 「松山は小さな街でね」
から始まって、「松山城には6本の道があるから歩いて登れます」よと。



 そして延々と続く松山談義。
 松山は道後温泉と「坊ちゃん」の2大目玉がある。
 しかし、NHKが大河ドラマに司馬遼太郎の「坂の上の雲」をやってから、様子ががらりと変わってしまった。



 正岡子規が一気に点数を上げてきた。
 それまで、子規なんて地元でもマイナーだったのだが、一躍観光の目玉に躍り出てきたのですよ。
 そこで私も子規の俳句をとりあえず一生懸命覚えました。
 「私の好きな子規の句は-----」



 いえいえ、あなたの好みなど聞いていないので。
 このままいると、おまわりさんの講義に付き合わされそうなので、早々に退散することにしたのだが。
 なんとか交番から逃亡できたが、延々20分もおまわりさんに捕まっていたことになる。
 調書もとられずに。
 そのとき、
 「お持ちなさい」
といってくれたのが、下の4枚の絵葉書。



●道後温泉本館


●松山城

 
 ●萬翠荘:洋行帰りの旧藩主が建てた別荘

 松山の交番は「観光案内所」も兼ねています。
 そして手持ち無沙汰なおまわりさんは観光客を捕まえて一席ぶちます。
 ヒマならお勧めで面白いです。
 観光に忙しいときは要注意です。
 ちなみに松山の消防署も「観光案内所」を兼ねています。
 こんな感じ。







【 うすっぺらな遺伝子 


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道後温泉のヌルヌルはどこへいったのか?:<<日本の話>>

 



 道後温泉に行ってきた。
 前に行ったのは学生の頃、周遊券を片手に四国を回った時である。
 このとき松山にも行き、道後温泉にも行っている。
 しかし、四十年以上も昔のこと、ほとんどなにも覚えていない。
 唯一の記憶といえば、道後温泉の湯質についてである。
 泊まったところはユースホステルで、お風呂はあるが温泉ではない。
 ところが誰でも入れる温泉があるという。
 地元の人も利用している温泉、つまり銭湯温泉である。
 すぐに出かけた。
 おそらくこれ、今の「道後温泉本館」だと思う。
 リックを背負っての貧乏旅なので、なにしろ汗を流したいというのが一番の希望。
 肌に張り付いたベタベタを洗い流してスッキリしたいと思っていたのだが。
 ところが、これがダメ、できない。

 「浴衣付き」という少々高い銭湯賃を払って入り、まず、ザブッツとお湯をかけたのだが。
 感触がまるで違う。
 何とこの温泉の湯質が油性?なのである。
 汗を流すどころではない、肌が逆に油っこくヌルヌルになる。
 気持ちが悪い。
 こりゃいかん、と石鹸でごしごしやってみた。
 これがダメ。
 石鹸がまるで泡立たないのである。
 汗や肌の汚れを落とすどころではない。
 「なんだ、この温泉は!」
 しかたがないから、ごしごしタオルでこすって汗や汚れを落とす。
 「こりゃ、ダメだ」と、早々に出て、浴衣に着替えた。

 ここからドラマがはじまるのである。
 しばらくするとである、ジワーと身体が暖まってくる。
 肌の表面に油膜ができた感じで、温まった身体のぬくもりが外部に放出されることなく、内部に溜まっていくといった風である。
 「おー!、すごい」
 身体がぽっか、ぽっかしてきたのである。
 風呂あがりにスエットスーツを着込んだ感じといったところか。
 身体がどんどん暖まってくるのである。
 浴衣をバタバタあおって身体に冷気を送り込むほど。
 ウーンすばらしい。
 これは、すこぶる身体にいい温泉だ!と納得。
 気分を入れ替えて、再度、温泉に入り直してしまったほど。
 
 この記憶があるので、日本に行ったついでにあのヌルヌルの道後の湯につかりたいと四国まで足をのばしたのである。
 それも、三泊もとって温泉三昧で過ごそうと思ってである。
 だがしかし残念なことに、きょう日の道後温泉はまるで違っていた。
 ごく普通の温泉になっていたのである。
 湯質はサラリとした普通の湯。
 石鹸も泡立つし、シャンプーも使える。
 「あの道後のヌルヌル湯はどこへいったのか」
 おそらくは湯元が変わってしまったのであろう。

 それでも三泊四日、往復飛行機で松山市内の散策を除けばどこにも行かず、ただただ温泉に浸り続けた旅行であった。
 道後温泉本館・神の湯、そして椿の湯も入った。
 朝晩、時に日中も入っていたのはホテルの風呂。
 もちろん温泉である。
 ドリフなら
 「ちゃちゃんちゃちゃんちゃチャ、
 いい湯だな、いい湯だな、ココは松山、道後の湯」
といった具合か。
 



 さて、気になるので調べてみた。
 「道後温泉のヌルヌルはどうなったのか」

道後温泉本館のクチコミ  2012年12月23日
http://www.jalan.net/kankou/380000/380200/spt_38201ae2180021563/kuchikomi/

 多くの文豪が愛した「道後温泉」。その佇まいは、歴史を感じさせるものがありました。
 ジブリの宮崎駿監督が、映画「千と千尋の神隠し」で「油屋」のモデルとなったのが、「道後温泉本館」と言われています。
 お湯の質も非常によく、サラッとした感じがしました。
 三連休とあったため、非常に多くの観光客が訪れていました。
 又、訪れてみたい温泉です。


 やっぱりきょう日の道後は「サラッとした感じ」の湯なのである。
 ではあの「ヌルヌル」を知っている人は?


道後温泉の真実 2009-08-26 12:50:14
http://ameblo.jp/hideboo1969/entry-10328776287.html

道後温泉といえば松山、松山といえば道後温泉、っていうほど有名ですね。
この度そこの道後温泉本館へ行きました。

実は今回の遠出にあたり、一部誤った情報を流してしまいましたので、訂正とお詫びをします。
正:「道後温泉はヌルヌルしていない」
謝:「ごめんね坊ちゃん」

でも20年ほど前は、確実にヌルヌルしてたんです。
学生時代に2回行ったのですが、
どちらの時もヌルヌルしてて、
石鹸で洗った後もヌルヌルしてて
いくら体を洗っても結局ヌルヌル
それはこの湯のせいだ!
と思っちょりました。

20年の月日の流れは侮れません。
ワタシの体質が変わったのか、道後の泉質が変わったのか?
なのでtakeruさん、道後はヌルヌルではないのですよ。
ウソではござぁせんっ。
みなさんもぜひ行ってみてください。

「道後の湯はヌルヌルだー(触感が)」という誤報はお湯に流して(笑)、試してみてくださいね!


 やはり、昔は「ぬるぬる」していたのである。


最古の温泉! 松山道後  1998/10/25
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/98/10/1025.html

 道後温泉はかつては聖徳太子が入浴したといわれ、有馬温泉などと並んで日本最 古の温泉のひとつ。
 夏目漱石の坊っちゃんの舞台としても知られ、かつてはウマな どの家畜も入浴するところがあったといわれています。
 ところが、周辺の開発など でお湯の量が激減!湧き水のように噴出していた温泉が止まってしまったのです。
 そこで、現在はポンプで汲み上げ、温泉として利用しているのです。

 道後温泉に入浴してみると、すぐに分かるのがそのヌルヌル感。
 実は、ヌルヌル するのはアルカリ性泉だけ。 
 日本に多い酸性泉では、体験することができないので す。
 アルカリ性泉に含まれている成分が、皮脂と結合して石けんと同じよう な成分ができ、それがどんどんまわりの皮脂を溶かしていくため、ヌルヌル感が出 るうえ、汚れも落ちるのです。
 古くからアルカリ性泉が美人の湯と呼ばれて いるのには、理由があったのです。
 ところが、皮脂は完全な汚れというわけではな く、皮膚を乾燥から守るという役割もあり、無くなってしまうと一時的に皮膚病に なってしまうこともあります。
 そこで、試しにスタッフが長時間入浴し、アルカリ 性泉にどのくらい皮脂が溶け出すのか見てみます。
 すると2時間入浴後、皮脂はほ とんどなくなってしまったのです。


 2009年にはすでに「サラッと湯」になっているが、
 少なくとも「1998年」までは道後温泉は「ぬるぬる湯」であったのである。
それがたった「10年弱」で
 道後温泉は「サラッと湯」に変わってしまった、
 ということである。
 ということは、
 おそらくこれには重大な理由があるはずである? 


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 追補
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 道後温泉への入り口、つまり道後温泉駅の前に建っているのが「ボッチャンのからくり時計」。
 私もじっくりと見せてもらったし、動画も撮った。
 さて、ニュースをみていたら、この時計とそっくりなものが台湾・台北市・松山区にもできたという。

2013/10/13 17:15   【共同通信】

台湾に「坊っちゃん時計」 松山市と交流の証し 

●道後温泉ゆかりのからくり時計が台北市松山区に設置され、式典に出席した(左から)松山市の野志克仁市長、中村時広愛媛県知事ら=13日(共同)

 【台北共同】
 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物を題材にした松山市・道後温泉のからくり時計とほぼ同じ時計が、台北市松山区の廟「松山慈祐宮」前に設置され、日台の関係者が13日、式典を開いた。

 同じ「松山」の地名や温泉を生かした両市の交流の証しにと、慈祐宮が出資し日本側が制作。
 松山市の野志市長は「子や孫の代まで交流を続けたい」とあいさつし、日本への観光を呼び掛けた。

 慈祐宮は航海安全の女神「媽祖」をまつり、観光名所としても有名。
 時計は道後よりやや小ぶりで高さ5メートル弱。
 1時間ごとに作動し坊っちゃんやマドンナ、媽祖の人形などがゆかりの音楽と共に飛び出す。

●台北市松山区




【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年6月7日金曜日

小平霊園のムクドリ:<<日本の話>>

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<<先月、日本へ行ったときの話である>>

東京郊外の小平霊園に行った。
西武新宿線でジャスト30分、緑豊かなすばらしい霊園である。
ここで出会ったのが見知らぬ鳥。
それも霊園内で群れている。
通常、みられる雑鳥といえば御三家のスズメ、ハト、カラスである。
実際、その数日後に新宿御苑へいったが、緑多いこの庭園でも御三家以外の鳥を見ることはなかった。
御三家以外の鳥が群れているなんて風景は東京では考えられと思うのだが。
この鳥一見、「コモンマイナ」である。
その大きさ、動きかたはコモンマイナそっくりである。
ただ、色合いが違う。とくに目の周りの色使いがまるで似ていない。
しかし、遠目ではコモンマイナそっくりである。
そこでこの鳥はコモンマイナの亜種であろうと当たりをつけたのだが。
といっても、私自身は日本の鳥はあまりよく知らない。
コモンマイナは和名で「インドハッカ」あるいは「カバイロハッカ」という。

調べてみたら「ムクドリ」と出てきた。
wikipediaを見てみる。

ムクドリ(椋鳥、学名Sturnus cineraceus)はスズメ目ムクドリ科の鳥。
英名は White-cheeked Starling または Gray Starling。

全長 24cm ほどで、スズメとハトの中間ほど。
尾羽を加えるとヒヨドリより一回り小さい程度の大きさ。
翼と胸、首は茶褐色で、首から頭にかけてと腰に白い部分が混じり、足と嘴は黄色い。
なお、雄は胸や腹・背が黒っぽく、雌は褐色に近い。
東アジア(中国、モンゴル、ロシア東南部、朝鮮半島、日本)に分布する。

日本国内ではほぼ全域に分布する留鳥で、北部のものは冬には南部に移動するようである。
 低地の平野や低山地にかけて広く生息し、都市部などの人家付近や田畑などでもよく見られる。

もともとは、農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていた。
平均的なムクドリの家族(親2羽、雛6羽)が1年間に捕食する虫の数は百万匹以上と研究されている。
当時害虫を1匹駆除するのに1円かかると言われていたため、ムクドリ1家族で年間に百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたほどである。

その後、生息環境の破壊により都市に適応して大量に増殖すると、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になる。
新潟県長岡市ではJR長岡駅前の街路樹にムクドリの大群が発生し問題となっていたが、捕獲したムクドリの鳴き声を収録し大音量で流すことでムクドリは去っていった。
この成功例から全国の自治体から問い合わせが相次ぎ、この鳴き声を収録したカセットテープ・CDを各地に配布したところ、各地でもムクドリを立ち去らせることに成功した。
しかし、ムクドリの数そのものが減少した訳ではないため、今まで被害の出ていなかった別の街路樹で被害が発生するなど、「単に少し移動しただけ」という問題もある。
なお、鳴き声からか、大きな音により立ち去ったのかは検証されていない。

宮崎県では新潟の例を参考にし鳴き声を録音したテープを流したが、大した効果は見られなかった。

そこで街路樹にネットをかぶせるという対策をとったが、ネットがない隣の木に移るなどいたちごっこが続き現在対策の目途が立っていない。

その他、果物を好んで食べるため、果樹園に被害を与えるとして駆除されることもある。
本種以外に、近縁でヨーロッパ、アメリカに分布するホシムクドリにも本種と同様の性質があり、特にアメリカでは都市部における最悪の害鳥として知られる。


益鳥なのか害鳥なのかさだかではない。
でも日本のあちこちに被害が出て「ムクドリ対策」が講じられていることだけは確かである。
しかし、雑鳥に御三家以外の鳥がいるというのはなんとなくほほえましい。
インターネットに載っていたyoutubeを。

ちなみにコモンマイナ(カバイロハッカ)を調べてみる。

ハテナキーワード 
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A5%D0%A5%A4%A5%ED%A5%CF%A5%C3%A5%AB

カバイロハッカ かばいろはっか (動植物)
スズメ目ムクドリ科ハッカチョウ属
英名:Common Myna 学名:Acridotheres tristis

インド原産
虫を摂るのでオーストラリア、ハワイなどには人為移入されている
タイなど東南アジアにも多い

インドハッカ、マイナ、マイナバード





どちらも「ムクドリ科」であり、やはり親戚種のようである。

ちなみ新宿御苑のカラスの繁殖がひどく、歌舞伎町などで雑飯を狙って収集ゴミの袋を突っつき、ゴミをちらかす被害で大きくなり、最近、カラスの新宿御苑でカラス駆除が行われたようである。
そのせいか、周辺のカラスの数が非常に少なくなっている。
ムクドリも早晩、一斉駆除ということになるのだろうか。
それともハトのように人間と共存ということになるのだろうか。



【 うすっぺらな遺伝子 


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