2013年6月24日月曜日

正岡子規と司馬遼太郎:<<日本の話>>

_

●『坂の上の雲ミュージアム』


 前回日本に行ったとき(数年前)は近くの図書館に読書三昧であった。
 目的は宮城谷晶光。
 3,4本読みきった。
 だが、これ大失敗。
 中国の戦国春秋の時期の作品を一気に複数読むと、登場人物ならびにストーリーがごちゃごちゃになり、結果として読み終わったときには印象はあるが、しばらくすると、何がなんだかわからなくなり、ついにはほとんど記憶の中から消えてしまうことになってしまった。
 ちなみに蛇足で付け加えると宮城谷晶光の作品で好きなのは『太公望』と『晏子』である。

 今回は司馬遼太郎。
 棚に『街道をいく』が全巻揃っている司馬好きの家に泊まっている。
 これまで読んでいない小説もそこそこあった。
 引っ張りだしてページをめくる。
 まずは『韃靼疾風録』。
 そして『箱根の坂』と続く。
 この2本は初版本という豪華さ。
  



 
 


 ここまで読んで時間切れ。
 『播磨灘物語』の3巻は借りてスーツケースに入れて持ってきた。


 松山も最近、司馬遼太郎に大変お世話になった街である。
 作品は『坂の上の雲』。
 もし現代小説の中で後世に残るものがあるとしたら、この本だろうと言う人も多い。
 NHKでドラマ化されて一気に世に広まったものでもある。

 司馬遼太郎によって歴史の舞台に引き上げられた人物は多い。
 その最たるものは坂本竜馬。

 

少なくとも私の学生時代には坂本竜馬は維新では脇役でありマイナーな人物であった
 せいぜい出てくるのは、時代劇映画であった。
 新撰組に取り囲まれた坂本竜馬を助けに鞍馬天狗がくる
 そして曰く、
 「坂本さん、薩長連合がなりましたぞ」
 「おお倉田さん、日本の夜明けが近いぞ!」
って程度のちょい役に過ぎなかった。
 その竜馬が見直され、誰でも知っている歴史上の人物になったのは司馬遼太郎のおかげといっていい。
 たった一冊の本、『竜馬がいく』でである。
 維新動乱のはるかな点景が歴史の舞台に引き出され、スポットライトに浮かび上がり、あたかも日本の救世主のような印象を国民に与えている。
 「司馬遼、恐るべし
である。


昭和偉人伝 #8「司馬遼太郎」
http://www.dailymotion.com/video/x1o1a4o_%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D-8-%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E_tv
 』

  ちなみに坂本竜馬の墓は京都にある。
 護国神社の中にあり、中岡慎太郎の墓と並んである。
 学生のころ詣でたことがある。
  その頃はまだ知られた存在ではないためひっそりとあった。
 花を添えた。
 その時、中岡ではなく、倉田典膳(鞍馬天狗)だったら面白かったのにと不純にも思ってしまった。




●『坂の上の雲ミュージアム』


●『坂の上の雲ミュージアム』

 正岡子規、といえば教科書にも出てくる著名な文学人。
 学校の試験にはよくでてくる名前。
 でも、名前のほどにはその中身は知られていない。
 松山出身ながら栄光は同居人であった東京人の漱石に奪われてしまっている。
 うすっぺたいたった一冊の本で、いわく『坊ちゃん』。
 「松山=坊ちゃん」
という等式は日本の標準にまでなってしまっている。

 その肩身の狭い地元人を輝く玉座に引き据えてくれたのが司馬遼太郎。
 松山人にとっては司馬遼太郎とは「感謝、感謝」の人物となる。
その気持ちで作ったのが「坂の上の雲 ミュージアム」。
 「坊ちゃん」は列車になり、坊ちゃん菓子にはなったが、ついに「坊ちゃん博物館」は作られなかった。
 「坂の上の雲」以降、街中が子規一色になった。
 どうでもいいような場所まで観光化された。
 市は「子規記念館」を作った。


●『松山市立 子規記念博物館』他

 で、子規ってなにをやった人?
 教科書ならこうなる、
 「歴史に埋もれていた俳句を近代に復活させた人」
 そして著名な句といえばこれ
 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
 有名ではあるが松山には貢献していない。
 「 松山や秋より高き天主閣」
 これは松山賛歌であるが、でもほとんど誰も知らない。

 松山の宣伝に貢献している度合いを懸案してみると「漱石 坊ちゃん」はなんといっても横綱。
 もしこの薄っぺらい本がなかったら、松山は単に道後温泉のある街以上にはならなかったのではないだろうか。
 次は司馬遼太郎で関脇といったところか。
 そして子規は、地元人には悪いが小結というところになる。
 つまり、誰かが小説のような物の上で遊ばせないないと、人の心には染み渡ってこない。
 典型は吉川英治の「新書太閤記」の秀吉や「宮本武蔵」。
 また、司馬遼太郎なら坂本竜馬。
 司馬遼太郎は子規を「坂の上の雲」で遊ばせた。
 それによって、松山が道後温泉という目玉の他にひと目に多く触れるようになった、といえるのではないだろうか。
 もちろん、松山人にとっては逆に子規は大関の判定であろうと思う。

 また蛇足だが、「坂の上の雲」はもっている。
 これは文庫本で日本から取り寄せた。




 『「坂の上の雲」と司馬遼太郎とその時代』については下記の本がいい。


● 関川夏央著『「坂の上の雲」と日本人』 文庫本2009/10/10 単行本2006/03

 この本からの各巻の概要をコピーしておく。














【 うすっぺらな遺伝子 


_

「警察交番」という、世にも奇妙な交番:<<日本の話>>

 _



●「屋根のない博物館の街:松山」



●「警察交番」って明らかに奇妙ですよね?


 道後温泉から路面電車に乗るのだが、ここで「坊ちゃん列車」に乗ってみる。
 日に数本走っている。
 漱石が松山に赴任してきたころ走っていた電車である。





 運賃は300円。
 ちなみに路面電車は一律150円。
 ということは倍値段。
 がである。
 この列車には定員があって大して乗れない。
 それに列車の運転手とガイド兼車掌が乗っている。
 どうみても利益が出るとは思えない。
 強いていえば赤字路線である。
 観光サービス、観光宣伝として走らせているようである。
 ルートは道後温泉から松山市駅まで。
 途中、「坂の上の雲ミュージアム」ならびに松山城までのケーブルカー駅への大街道駅一ケ所のみしか止まらない。



 松山市駅の前は高島屋デパート。
 地下、すなわちデパチカで昼食にする食品を見つくろう。
 たこ焼き、そしてジャコテン。
 「じゃこてん」というのは地元の魚で作ったさつま揚げのこと。



  ちょっと調べたいことがあって交番を探してみる。
 高島屋の後ろの道にあった。
 交番が置かれているにしては人通りの少ないところ。
 この交番の名前がなんと「警察交番」。
 何かいかめしというか、怖いというか、少々身を引いてしまいそうな交番。
 というより、日本語の成り立ちとしておかしいのではないだろうか。
 交番というのは警察が運営するものであって、それ以外にはあってはならないはずだが。
 ただ「モーレツあ太郎」には日本で唯一の私設交番と民間のおまわりさんが出てくるが。
 正式名称は「松山東警察署市駅前交番」という。
 恐る恐る入ってみる。
 
いろいろ教えてくれた。
 感謝、感謝、なのだが。
 話が止まらない。
 「松山は小さな街でね」
から始まって、「松山城には6本の道があるから歩いて登れます」よと。



 そして延々と続く松山談義。
 松山は道後温泉と「坊ちゃん」の2大目玉がある。
 しかし、NHKが大河ドラマに司馬遼太郎の「坂の上の雲」をやってから、様子ががらりと変わってしまった。



 正岡子規が一気に点数を上げてきた。
 それまで、子規なんて地元でもマイナーだったのだが、一躍観光の目玉に躍り出てきたのですよ。
 そこで私も子規の俳句をとりあえず一生懸命覚えました。
 「私の好きな子規の句は-----」



 いえいえ、あなたの好みなど聞いていないので。
 このままいると、おまわりさんの講義に付き合わされそうなので、早々に退散することにしたのだが。
 なんとか交番から逃亡できたが、延々20分もおまわりさんに捕まっていたことになる。
 調書もとられずに。
 そのとき、
 「お持ちなさい」
といってくれたのが、下の4枚の絵葉書。



●道後温泉本館


●松山城

 
 ●萬翠荘:洋行帰りの旧藩主が建てた別荘

 松山の交番は「観光案内所」も兼ねています。
 そして手持ち無沙汰なおまわりさんは観光客を捕まえて一席ぶちます。
 ヒマならお勧めで面白いです。
 観光に忙しいときは要注意です。
 ちなみに松山の消防署も「観光案内所」を兼ねています。
 こんな感じ。







【 うすっぺらな遺伝子 


_

道後温泉のヌルヌルはどこへいったのか?:<<日本の話>>

 



 道後温泉に行ってきた。
 前に行ったのは学生の頃、周遊券を片手に四国を回った時である。
 このとき松山にも行き、道後温泉にも行っている。
 しかし、四十年以上も昔のこと、ほとんどなにも覚えていない。
 唯一の記憶といえば、道後温泉の湯質についてである。
 泊まったところはユースホステルで、お風呂はあるが温泉ではない。
 ところが誰でも入れる温泉があるという。
 地元の人も利用している温泉、つまり銭湯温泉である。
 すぐに出かけた。
 おそらくこれ、今の「道後温泉本館」だと思う。
 リックを背負っての貧乏旅なので、なにしろ汗を流したいというのが一番の希望。
 肌に張り付いたベタベタを洗い流してスッキリしたいと思っていたのだが。
 ところが、これがダメ、できない。

 「浴衣付き」という少々高い銭湯賃を払って入り、まず、ザブッツとお湯をかけたのだが。
 感触がまるで違う。
 何とこの温泉の湯質が油性?なのである。
 汗を流すどころではない、肌が逆に油っこくヌルヌルになる。
 気持ちが悪い。
 こりゃいかん、と石鹸でごしごしやってみた。
 これがダメ。
 石鹸がまるで泡立たないのである。
 汗や肌の汚れを落とすどころではない。
 「なんだ、この温泉は!」
 しかたがないから、ごしごしタオルでこすって汗や汚れを落とす。
 「こりゃ、ダメだ」と、早々に出て、浴衣に着替えた。

 ここからドラマがはじまるのである。
 しばらくするとである、ジワーと身体が暖まってくる。
 肌の表面に油膜ができた感じで、温まった身体のぬくもりが外部に放出されることなく、内部に溜まっていくといった風である。
 「おー!、すごい」
 身体がぽっか、ぽっかしてきたのである。
 風呂あがりにスエットスーツを着込んだ感じといったところか。
 身体がどんどん暖まってくるのである。
 浴衣をバタバタあおって身体に冷気を送り込むほど。
 ウーンすばらしい。
 これは、すこぶる身体にいい温泉だ!と納得。
 気分を入れ替えて、再度、温泉に入り直してしまったほど。
 
 この記憶があるので、日本に行ったついでにあのヌルヌルの道後の湯につかりたいと四国まで足をのばしたのである。
 それも、三泊もとって温泉三昧で過ごそうと思ってである。
 だがしかし残念なことに、きょう日の道後温泉はまるで違っていた。
 ごく普通の温泉になっていたのである。
 湯質はサラリとした普通の湯。
 石鹸も泡立つし、シャンプーも使える。
 「あの道後のヌルヌル湯はどこへいったのか」
 おそらくは湯元が変わってしまったのであろう。

 それでも三泊四日、往復飛行機で松山市内の散策を除けばどこにも行かず、ただただ温泉に浸り続けた旅行であった。
 道後温泉本館・神の湯、そして椿の湯も入った。
 朝晩、時に日中も入っていたのはホテルの風呂。
 もちろん温泉である。
 ドリフなら
 「ちゃちゃんちゃちゃんちゃチャ、
 いい湯だな、いい湯だな、ココは松山、道後の湯」
といった具合か。
 



 さて、気になるので調べてみた。
 「道後温泉のヌルヌルはどうなったのか」

道後温泉本館のクチコミ  2012年12月23日
http://www.jalan.net/kankou/380000/380200/spt_38201ae2180021563/kuchikomi/

 多くの文豪が愛した「道後温泉」。その佇まいは、歴史を感じさせるものがありました。
 ジブリの宮崎駿監督が、映画「千と千尋の神隠し」で「油屋」のモデルとなったのが、「道後温泉本館」と言われています。
 お湯の質も非常によく、サラッとした感じがしました。
 三連休とあったため、非常に多くの観光客が訪れていました。
 又、訪れてみたい温泉です。


 やっぱりきょう日の道後は「サラッとした感じ」の湯なのである。
 ではあの「ヌルヌル」を知っている人は?


道後温泉の真実 2009-08-26 12:50:14
http://ameblo.jp/hideboo1969/entry-10328776287.html

道後温泉といえば松山、松山といえば道後温泉、っていうほど有名ですね。
この度そこの道後温泉本館へ行きました。

実は今回の遠出にあたり、一部誤った情報を流してしまいましたので、訂正とお詫びをします。
正:「道後温泉はヌルヌルしていない」
謝:「ごめんね坊ちゃん」

でも20年ほど前は、確実にヌルヌルしてたんです。
学生時代に2回行ったのですが、
どちらの時もヌルヌルしてて、
石鹸で洗った後もヌルヌルしてて
いくら体を洗っても結局ヌルヌル
それはこの湯のせいだ!
と思っちょりました。

20年の月日の流れは侮れません。
ワタシの体質が変わったのか、道後の泉質が変わったのか?
なのでtakeruさん、道後はヌルヌルではないのですよ。
ウソではござぁせんっ。
みなさんもぜひ行ってみてください。

「道後の湯はヌルヌルだー(触感が)」という誤報はお湯に流して(笑)、試してみてくださいね!


 やはり、昔は「ぬるぬる」していたのである。


最古の温泉! 松山道後  1998/10/25
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/98/10/1025.html

 道後温泉はかつては聖徳太子が入浴したといわれ、有馬温泉などと並んで日本最 古の温泉のひとつ。
 夏目漱石の坊っちゃんの舞台としても知られ、かつてはウマな どの家畜も入浴するところがあったといわれています。
 ところが、周辺の開発など でお湯の量が激減!湧き水のように噴出していた温泉が止まってしまったのです。
 そこで、現在はポンプで汲み上げ、温泉として利用しているのです。

 道後温泉に入浴してみると、すぐに分かるのがそのヌルヌル感。
 実は、ヌルヌル するのはアルカリ性泉だけ。 
 日本に多い酸性泉では、体験することができないので す。
 アルカリ性泉に含まれている成分が、皮脂と結合して石けんと同じよう な成分ができ、それがどんどんまわりの皮脂を溶かしていくため、ヌルヌル感が出 るうえ、汚れも落ちるのです。
 古くからアルカリ性泉が美人の湯と呼ばれて いるのには、理由があったのです。
 ところが、皮脂は完全な汚れというわけではな く、皮膚を乾燥から守るという役割もあり、無くなってしまうと一時的に皮膚病に なってしまうこともあります。
 そこで、試しにスタッフが長時間入浴し、アルカリ 性泉にどのくらい皮脂が溶け出すのか見てみます。
 すると2時間入浴後、皮脂はほ とんどなくなってしまったのです。


 2009年にはすでに「サラッと湯」になっているが、
 少なくとも「1998年」までは道後温泉は「ぬるぬる湯」であったのである。
それがたった「10年弱」で
 道後温泉は「サラッと湯」に変わってしまった、
 ということである。
 ということは、
 おそらくこれには重大な理由があるはずである? 


===========
 追補
===========

 道後温泉への入り口、つまり道後温泉駅の前に建っているのが「ボッチャンのからくり時計」。
 私もじっくりと見せてもらったし、動画も撮った。
 さて、ニュースをみていたら、この時計とそっくりなものが台湾・台北市・松山区にもできたという。

2013/10/13 17:15   【共同通信】

台湾に「坊っちゃん時計」 松山市と交流の証し 

●道後温泉ゆかりのからくり時計が台北市松山区に設置され、式典に出席した(左から)松山市の野志克仁市長、中村時広愛媛県知事ら=13日(共同)

 【台北共同】
 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物を題材にした松山市・道後温泉のからくり時計とほぼ同じ時計が、台北市松山区の廟「松山慈祐宮」前に設置され、日台の関係者が13日、式典を開いた。

 同じ「松山」の地名や温泉を生かした両市の交流の証しにと、慈祐宮が出資し日本側が制作。
 松山市の野志市長は「子や孫の代まで交流を続けたい」とあいさつし、日本への観光を呼び掛けた。

 慈祐宮は航海安全の女神「媽祖」をまつり、観光名所としても有名。
 時計は道後よりやや小ぶりで高さ5メートル弱。
 1時間ごとに作動し坊っちゃんやマドンナ、媽祖の人形などがゆかりの音楽と共に飛び出す。

●台北市松山区




【 うすっぺらな遺伝子 


_

2013年6月7日金曜日

小平霊園のムクドリ:<<日本の話>>

_






<<先月、日本へ行ったときの話である>>

東京郊外の小平霊園に行った。
西武新宿線でジャスト30分、緑豊かなすばらしい霊園である。
ここで出会ったのが見知らぬ鳥。
それも霊園内で群れている。
通常、みられる雑鳥といえば御三家のスズメ、ハト、カラスである。
実際、その数日後に新宿御苑へいったが、緑多いこの庭園でも御三家以外の鳥を見ることはなかった。
御三家以外の鳥が群れているなんて風景は東京では考えられと思うのだが。
この鳥一見、「コモンマイナ」である。
その大きさ、動きかたはコモンマイナそっくりである。
ただ、色合いが違う。とくに目の周りの色使いがまるで似ていない。
しかし、遠目ではコモンマイナそっくりである。
そこでこの鳥はコモンマイナの亜種であろうと当たりをつけたのだが。
といっても、私自身は日本の鳥はあまりよく知らない。
コモンマイナは和名で「インドハッカ」あるいは「カバイロハッカ」という。

調べてみたら「ムクドリ」と出てきた。
wikipediaを見てみる。

ムクドリ(椋鳥、学名Sturnus cineraceus)はスズメ目ムクドリ科の鳥。
英名は White-cheeked Starling または Gray Starling。

全長 24cm ほどで、スズメとハトの中間ほど。
尾羽を加えるとヒヨドリより一回り小さい程度の大きさ。
翼と胸、首は茶褐色で、首から頭にかけてと腰に白い部分が混じり、足と嘴は黄色い。
なお、雄は胸や腹・背が黒っぽく、雌は褐色に近い。
東アジア(中国、モンゴル、ロシア東南部、朝鮮半島、日本)に分布する。

日本国内ではほぼ全域に分布する留鳥で、北部のものは冬には南部に移動するようである。
 低地の平野や低山地にかけて広く生息し、都市部などの人家付近や田畑などでもよく見られる。

もともとは、農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていた。
平均的なムクドリの家族(親2羽、雛6羽)が1年間に捕食する虫の数は百万匹以上と研究されている。
当時害虫を1匹駆除するのに1円かかると言われていたため、ムクドリ1家族で年間に百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたほどである。

その後、生息環境の破壊により都市に適応して大量に増殖すると、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になる。
新潟県長岡市ではJR長岡駅前の街路樹にムクドリの大群が発生し問題となっていたが、捕獲したムクドリの鳴き声を収録し大音量で流すことでムクドリは去っていった。
この成功例から全国の自治体から問い合わせが相次ぎ、この鳴き声を収録したカセットテープ・CDを各地に配布したところ、各地でもムクドリを立ち去らせることに成功した。
しかし、ムクドリの数そのものが減少した訳ではないため、今まで被害の出ていなかった別の街路樹で被害が発生するなど、「単に少し移動しただけ」という問題もある。
なお、鳴き声からか、大きな音により立ち去ったのかは検証されていない。

宮崎県では新潟の例を参考にし鳴き声を録音したテープを流したが、大した効果は見られなかった。

そこで街路樹にネットをかぶせるという対策をとったが、ネットがない隣の木に移るなどいたちごっこが続き現在対策の目途が立っていない。

その他、果物を好んで食べるため、果樹園に被害を与えるとして駆除されることもある。
本種以外に、近縁でヨーロッパ、アメリカに分布するホシムクドリにも本種と同様の性質があり、特にアメリカでは都市部における最悪の害鳥として知られる。


益鳥なのか害鳥なのかさだかではない。
でも日本のあちこちに被害が出て「ムクドリ対策」が講じられていることだけは確かである。
しかし、雑鳥に御三家以外の鳥がいるというのはなんとなくほほえましい。
インターネットに載っていたyoutubeを。

ちなみにコモンマイナ(カバイロハッカ)を調べてみる。

ハテナキーワード 
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A5%D0%A5%A4%A5%ED%A5%CF%A5%C3%A5%AB

カバイロハッカ かばいろはっか (動植物)
スズメ目ムクドリ科ハッカチョウ属
英名:Common Myna 学名:Acridotheres tristis

インド原産
虫を摂るのでオーストラリア、ハワイなどには人為移入されている
タイなど東南アジアにも多い

インドハッカ、マイナ、マイナバード





どちらも「ムクドリ科」であり、やはり親戚種のようである。

ちなみ新宿御苑のカラスの繁殖がひどく、歌舞伎町などで雑飯を狙って収集ゴミの袋を突っつき、ゴミをちらかす被害で大きくなり、最近、カラスの新宿御苑でカラス駆除が行われたようである。
そのせいか、周辺のカラスの数が非常に少なくなっている。
ムクドリも早晩、一斉駆除ということになるのだろうか。
それともハトのように人間と共存ということになるのだろうか。



【 うすっぺらな遺伝子 


_

2013年3月24日日曜日

ゴールドコースト ジャパン・フレンズ・デイ 2013



 ● JAPAN & FRIENDS DAY 2013



 いつものように「ジャパン・フレンズ・デイ 2013:GOLD COAST JAPAN & FRIENDS DAY 2013」
行ってきた。
 場所はパシフィックフェアー横のブロードビーチ図書館ならび体育館。
 まずは借りていた本を5冊ほど返却する。
 ちなみに、ここの図書館は日曜日はやっていない。
 よってサイドの返却ボックスへ投げ入れることになる。
 今年は模擬店がたくさん出ていた。
 去年はあまりに数が少なくひどかったので、反省した結果であろう。
 去年は楽しみにしていたのだが、やむえずパシフイックフェアーのフードコートまで足を伸ばしてしまった。
 今年はやきぞばにした。
 本当はタコ焼きを狙っていたのだが、こちらの人はタコをどうも好まないらしく、日本なら名物となるたこ焼きがなかった。
 なを今年はお好み焼きにたいこ焼まで出ていた。


● プログラム


 初めはアボリジニのパフォーマンスから始まる。




 あとはいろいろ。


● 和太鼓-1


● 和太鼓-2


● 子どもの踊り





【 うすっぺらな遺伝子 


_

2013年3月4日月曜日

3月11日「東日本大津波」:あれから2年

_


●ブリスベンにある光栄山浄土院阿弥陀寺(浄土宗)の僧侶、「ジェームス・ウイルソン・哲雄」さんが3月12日、ゴールドコーストで東日本大震災の犠牲者のために「コミュニティ法要」を行う。
30~45分間の法要の後、モーニング・テイーを提供する。
来場の人数に制限はない。


来週の今日は「東日本大津波」の日である。
あれから丸2年が過ぎ去りようとしている。
自分に問てみる。
「オマエは何をやったか」
そして答える。
「やった、‥‥‥‥‥?」
  そして最後に「?」がつく。
あの事を境に大きく自分が変わったということは分かる。
そして日本人も大きく変わったことも分かる。
強いていえば、人はすべて
「いま、そこにある危機」
を感じて生きるようになった、ということであろう。



ゴールドコースト図書館にあったのがこの本、『TUNAMI 高嶋哲夫 集英社文庫』
この本、陳列されている本のなかではじつにクタクタになっている。
それだけ読まれたということであろう。
奥付によれば単行本は2005年12月発行。
文庫本は2008年11月が第1刷。
そしてこの本は2009年1月25日第3刷とある。
つまり、まだ津波の恐ろしさを知らないときに、この本はこの図書館に開架されたことになる。
おそらくは、開架されたときはさほど読まれなかったのではないだろうか。
そして2年後に東日本大津波がやってきて、ひっぱりだこになり、この図書館では珍しくも手垢にまみれた本になってしまったようである。




11日までには読み終えるつもりである。

本日は10日。
読み終えた。
東海、東南海、南海地震が同時に起きたときを想定して名古屋を描いている。
原発は御前崎の浜岡原発がモデル。
ちなみに、ここが日本の原発のなかで、最も地震に弱く、津波に弱い原発として、唯一時の管首相によって稼働停止を要請された原発でもある。
小説の最後に書かれている災害集計を上げてみる。
■ 死者:28万4725人
■ 直接被害額:300兆円
■ 間接被害額はおそらく500兆円以上
である。
東日本大震災の死者・行方不明者は約2万人、直接被害額は約20兆円。
ということは、現在、近い将来くるであろうと予想されている三大地震の複合体は、
東日本大震災の「約15倍」の大きさになる可能性が大きい
ということである。





 『2013年3月11日午後2時46分18秒:3分間黙祷』
 「2時46分18秒」とは公式地震発生時間。


日本経済新聞 2013/3/11 15:44
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1101Y_R10C13A3000000/

 天皇陛下のお言葉全文

 本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。

 2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。
 震災後に訪れた被災地では、永年にわたって人々が築いてきたふるさとが痛々しく破壊されており、被災者の悲しみはいかばかりかと察せられました。
 一方、この厳しい状況の中、被災地で、また、それぞれの避難の地で、気丈に困難に耐え、日々生活している被災者の姿には、常に深く心を打たれ、この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。

 このたびの大震災に際して、厳しい環境の下、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います。

 諸外国からも実に多くの善意が寄せられました。
 物資や義援金が送られ、また、救援の人々も多数来日し、日本の救援活動を助けてくれました。
 また駐日外国大使など日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後の日本を訪れる多くの外国人が、被災地に赴き、被災者を励ましてくださっていることに感謝しています。

 このたびの津波災害において、私どもは災害に関し、日ごろの避難訓練と津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。
 この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。
 今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日ごろからの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。
 危険な業務に携わる人々も、このたびの経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。

 今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


 wikipediaより。

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、
宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。
地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、日本周辺における観測史上最大の地震である。
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大津波が発生。
2013年(平成25年)3月8日時点で、震災による死者・行方不明者は18,549人。
建築物の全壊・半壊は合わせて39万8,460戸。
ピーク時の避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上に上っている。
復興庁によると、2013年2月7日時点の避難者等の数は31万5,196人となっている。
日本政府は震災による直接的な被害額を16兆から25兆円と試算している。
この額は被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。
また、震災における経済損失額は世界史上最大のものである。
(注).下記のNHKニュースでは震災による死者・行方不明者は20,851人である。
 これには死者「15,881名」、行方不明者「2,668名」のほか、震災関連死者「2,303人」が加えられている。


 11日夜の「NHKニュース7」がワールドニュースとして放送された。
 ただし、1時間の特別番組であったが、放送されたのはそのうちの25分程度である。








●NHKニュース7




石巻市 津波 TSUNAMI JAPAN 3.11/2011



ロケットニュース24 約1時間前
http://rocketnews24.com/2013/03/15/304530/
【必見動画】
福島の警戒区域にたった一人で生きる男に迫ったドキュメント
「原発20キロ圏内に生きる男」がスゴい

 大地震と大津波により未曾有の被害をもたらした、2011年3月11日の東日本大震災。
 それと同時に、福島では東京電力の福島第一原子力発電所事故が発生し、広範囲にわたって放射能汚染が発生。
 原発20キロ圏内は、今でも一般市民の立ち入りが禁止されている。

 そんななか、福島の警戒区域にたった一人で生きる男が存在する。
 彼の名前は松村直登さん53歳。
 今回ご紹介したいのは、彼の生活や思いに迫ったドキュメント動画「原発20キロ圏内に生きる男」である。

 震災直後の様子から、警戒地区に残ることになった経緯、そしてこのような状況を招くことになった東京電力への思いなど……松村さんは言葉をオブラートに包むことなく、思いのままに語っていく。

 原発事故直後、松村さんが知人の東京電力社員に「だいじょうぶだべ?」と聞いたところ、相手は自分の家族を遠くへ逃がしつつも、「大丈夫。2〜3日で直るから」と答えたという。
 「ひどいべ。そこまできたってまだウソをつく」
と松村さんは述懐する。

 なお、この動画を製作したのは世界30カ国以上に支部を持つメディアカンパニー「VICE」の日本支部。
 以前にもご紹介した、極めて質の高いドキュメント動画「自殺の名所:青木ケ原樹海」を作ったのも、この「VICE」の海外支部である。どちらも必見だ!

参照元:YouTube VICEjpch
執筆:GO


●原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone



NHK 特集ドラマ ”ラジオ”




東日本大震災の被災地・宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ。
被災地に生きる女子高生と彼女を見守る大人たちが織りなす青春群像。
「復興と未来のために伝えたいことがある!
 被災地女川で疾走する高校生DJ某ちゃん。
 愛と青春の物語!」

NHK総合/スペシャル/13.03.26
2013年3月26日(火) 午後10:00~午後11:15(75分)
[出演] 刈谷友衣子,豊原功補,西田尚美,リリー・フランキー,吉田栄作,安藤サクラ,新井浩文

http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=upstge&prgid=47798910









【 うすっぺらな遺伝子 


_