2013年12月14日土曜日

電力会社:「ノックお断り」の表示を無視して営業、罰金550万円

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 日本なら自動車と新聞のセールスがウルサイが、こちらは電力会社と有線テレビがウルサイ。
 特に電力会社は数社が入り乱れている。
 しつこさに負けて、その会社に変えてしまうのを繰り返している。
 何回変えたか。
 一体、うちは今、どこと契約しているのかと、考え込むほど。


AFP BBニュース
http://www.afpbb.com/articles/-/3005060

「ノックお断り」の表示を無視して営業、罰金550万円


●オーストラリア・シドニー(Sydney)で、豪ドル紙幣を広げる買い物客(2010年6月7日撮影、資料写真)。(c)AFP/Torsten BLACKWOOD

【12月13日 AFP】
 オーストラリアで、ガス会社の営業担当者が「ノックお断り」と書かれたドアの張り紙を無視して、その家で訪問販売をしようとしたため、ガス会社と営業担当者の雇用元企業が総額6万豪ドル(約550万円)の罰金を支払う羽目に陥った。

 2011年11月、飛び込みの家庭訪問販売を行っていた豪エネルギー会社、AGLサウスオーストラリア(AGL South Australia)の営業担当は「ノックお断り」の表示が貼られていた家にも、これを無視して飛び込み営業を行った。

 これについて豪連邦裁判所は、AGLに3万5000豪ドル(約320万円)、営業担当者の派遣元のマーケティング企業CPMオーストラリア(CPM Australia)に2万5000豪ドル(約230万円)の罰金の支払いを命じた。

 裁判所は、罰金刑は
 「罰金対象の当該者および同業他社による今回のような訪問販売行為を抑止する必要の重要性を反映したものだ」
と説明した。

 オーストラリアの公正競争監視当局も、
 「消費者宅の正面玄関に貼られた表示には、ノックをするこぶしに線が引いてある絵とともに『ノックお断り』の文字があり、訪問販売を歓迎していないことは明らかだ。
 それにも関わらず営業担当者は、この家のドアをノックして契約を取り付けようとした」
との声明を発表した。

 豪競争・消費者委員会(Australian Competition and Consumer Commission、ACCC、公正取引委員会に相当)によれば、訪問販売などで消費者契約に関連する法律に違反した場合の罰金は最高で5豪万ドル(約460万円)だという。

(c)AFP


 我が家も「ノックお断り」を貼って5万ドルの罰金をせしめようか!

 調べてみた。
 最近、AGLからoriginに変わっている。
 確かその前はインテグラだったような気がする。



【 うすっぺらな遺伝子 


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トヨタもGMと同様に豪州から撤退する日が迫っている:産業構造の変換ができるか?

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 来るべきときが来る、そんな気分である。
 なにしろここの物価は高い。
 ついでに賃金も高い。
 なら企業は逃げ出す。
 企業が消えれば産業はなりたたない。
 それでもやっていけたのは、大地に眠る地下資源の数々の恩恵による。
 中国の台頭で、楽日を謳歌した。
 しかし、中国の成長も先が見えてきた。
 内閣府は「中所得国の罠」におちいるだろうと予告している。
 中国なきあと、オーストラリアはどうやって生きていくのか?
 もはや、ここでは 
 大量生産品を作るという工業システムの産業は生きていけない
のではないだろうか。
 なんて心配をする必要はない。
 ここの強みは、なんと言ったって
 「人口が少ない
ことだ。
 アホな経済学者は生産人口の少なさを危惧するような論説を多々発表しているが、どれもほとんど無能の論理。
 日本は2050年までに1億人を切るという。
 大いに結構。
 オーストラリアは圧倒的に人口が少なく、何しろ地面の下には資源が眠り、地面には穀物が実る。
 地面の上では牛と羊とカンガルーが群れる。
 年間、横浜市の人口に匹敵する数のカンガルーが殺される。
 多くはキャットフード・ドッグフードに変身する。
 それだけ殺しても減らない。
 数にして360万頭が殺されてもカンガルーは減らないのである。
 何が言いたいかというと、ここはとんでもない国だということです。
  常識が時々通用しなくなる。
 それが日常化すると、何かやたらとオージー化してしまったのかと不安になってくる。
 そこで、産業衰退のシビアな常識的な記事を。


ウォールストリートジャーナル     2013年 12月 13日 16:47 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303747904579255452624892352.html?mod=WSJJP_hpp_RIGHTTopStoriesFirst

トヨタ、豪撤退を警告―アボット首相は引き止め努力
By     ROB TAYLOR


●トヨタ車の運転席に座るアボット豪首相

 【キャンベラ(オーストラリア)】
 オーストラリアでの自動車生産を維持したい同国政府にとって、メルボルン郊外のアルトナにあるトヨタ自動車の工場は、いわば最後の決戦場になっている。

 米ゼネラル・モーターズ(GM)が最近表明した通り2017年に豪州の2工場を閉鎖すれば、
 トヨタは豪州で自動車を生産する唯一のメーカーになる。
 トヨタはこれまで豪ドル高から受ける打撃に対処してきた。
 例えば雇用を削減し、アルトナ工場での生産維持のための政府支援を受け取ってきた。

 しかしトヨタは12日、アボット豪首相に対し、トヨタもGMと同様に豪州から撤退する日が迫っているかもしれないと警告した。

 トヨタは
 「当社のサプライヤー(供給業者)、主要なステークホルダー(利害関係者)、それに政府とともに相談して、われわれの次のステップを決定し、豪州唯一の自動車メーカーとして操業を続けられるか否か判断したい」
と述べた。

 トヨタは豪州で生産する車の70%を輸出している。
 トヨタは、GMの決定が連鎖反応を引き起こす可能性があると指摘し、サプライヤーが市場の半分を失って破産するかもしれないと述べた。
 そして、この結果、自動車部品の価格や労働コストが上がる恐れがあり、豪州で乗用車の「カムリ」と「オーリオン」の生産を継続すれば利益が圧縮されるかもしれないと述べた。

 GMは10日、17年までに豪州での生産を中止すると発表した。
 これは高コストになった進出先の国から外国自動車メーカーが撤退する動きが加速化していることを浮き彫りにしている。
 GMの工場閉鎖によって2900人強が失業し、南オーストラリアとビクトリアの2州の工業地帯が最も大きな影響を受けるとみられる。
 両州では何十年にもわたって工場の雇用が減っている。

 自動車産業はかつて、豪州の戦後の製造業隆盛の象徴として称賛された。
 その崩壊が差し迫っているかもしれない事態を受け、アボット首相は引き止め攻勢に出ている。

 アボット首相は「われわれはトヨタの生産継続を望んでいる」と述べた。
 同首相はトヨタ豪州法人の安田政秀社長に電話をかけたことを明らかにしたが、話し合いの内容は公表しなかった。アボット政権は、GMの工場閉鎖を回避するために断固たる行動を取らず、GMのホールデン部門存続のための公的支援を増額しなかったとして、議会で批判にさらされている。


●2008年と13年の豪州自動車市場の各社マーケットシェア(VFACTS調べ)

 アボット首相は、トヨタとGMの立場は若干異なると指摘。
 これは、トヨタの豪州生産が主に輸出目的で、大半の車が中東に出荷されているためだと述べた。

 トヨタの豪州法人はコスト削減を進め、前年度(今年3月終了)の損益は2億2090万豪ドル(約207億円)の黒字に達した。
 それでも同社は豪州で大きな困難に直面している。
 消費者の好みがカムリのような比較的大型の乗用車から、輸入されたスポーツ用多目的車(SUV)にシフトしているためだ。
 豪州で最も売れているトヨタ車は「カローラ」だが、これは同国内で生産されていない。

 アボット首相は、政府が数日中にホールデンの従業員とトヨタ向けの支援策を発表すると述べた。
 GMが17年に撤退するまでに、研究開発の強化、教育、それに「ニッチ事業」に対しても支援を提供するという。

 アボット首相は
 「われわれはこういった人々を落胆させない。
 現在課せられている任務は、わが国の基礎力を生かすことだ」
と述べた。

 豪州の失業率は既に08年の金融危機以降見られなかった水準にまで上昇している。
 かつてブームを巻き起こした資源セクターでは今年、何千人もの労働者が職を失った
 関係企業がコモディティー価格の下落への対応を迫られたためだ。
 一方、同国を代表する航空会社のカンタス航空は最近、損失を減らすため1000人の従業員を削減すると発表した。

 経済成長は急速に鈍化している。
 消費者信頼感の低下、企業投資の軟化、それに豪ドル高から打撃を受けたかたちだ。
 13年第3四半期の経済成長率は前年同期比2.3%だったが、昨年初めには4%にも達していた。

 アボット首相は、安全保障をめぐるインドネシアとの関係悪化のほか、海外投資の阻止をめぐる論争からも打撃を受けている。

 豪州での自動車生産が終われば、これらの対外問題とは比べものにならないほど大きな打撃を被る公算が大きい。
 労働組合や業界のロビイストらは、自動車業界が死ねば、経済に210億豪ドルの穴が開き、最大で4万5000の職が奪われると警告する。
 ビクトリアと南オーストラリアの2州の失業率は既に全国平均を上回っているが、両州は同国の製造技能を伸ばす主要拠点でもあるため、その影響は防衛などといったその他の産業にも及ぶ可能性がある。

 豪州産業連盟は、同国が医療、生物医学工学、それに農業といった分野で競争的優位に立っているが、資源開発の専門知識を輸出するなど、自国の強みをもっと生かす必要があるとも指摘している。


 この国はもはや大量生産品を作るような工業システムは生き残れない。



【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年10月11日金曜日

『マルチシェフ』:オーストラリア製「イージー・クック」

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EasyCook MultiChef E970 Advertorial



 果たして日本の炊飯器はこのオーストラリアのスーパークッキングに勝てるのだろうか?
 味はどうだろう?
 まあ、バーベキューで満足できる国民だから、味は「気にしない、気にしない」


Pouch[ポーチ] / 4時間前
http://youpouch.com/2013/08/15/131832/

海外でも「炊飯器」料理が人気!? 
機能が充実したインスパイア商品も登場



炊飯器が単にご飯を炊くだけにとどまらない機器であることを、みなさんはご存知だったでしょうか。

 「煮こむ」「焼く」「ローストする」「ゆでる」などの行為はもちろん、なんとケーキまで作れちゃう隠れ万能機器、炊飯器。海外サイト『Mail Online』によると、どうやら海外で炊飯器が、『マルチシェフ』なる名前で売り出されている模様。
 へ~、米を主食としないからなのでしょうか、それにしてもよく考えたものですね!

 なんでも炊飯器、もとい『マルチシェフ』は、鍋・フライパン・オーブンの要素を併せ持つ優れモノ。
 これ1台あれば、ボタンひとつでカレーやシチューなどの煮込み料理から、ステーキ、ローストチキンとなんでもござれ。
 手入れもカンタン、なおかつ省スペースという宣伝文句がまた、消費者の心をこれでもかってほどにくすぐります。

 どこからどう見ても、完全に炊飯器。
 そんな『マルチシェフ』は、オーストラリアの会社『Easy Cook』から24000円ほどで発売されているみたい。

 また同じ名前で、イギリスの会社『Lakeland』からおよそ60000円で発売されている、炊飯器からインスパイアされているであろう商品もとっても興味深いので、合わせてご紹介しちゃいますね。

 こちらは炊飯器が持つ種々の機能のほか、「フードプロセッサー」「ブレンダー」「パン生地をこねる」などの機能が追加された驚きの商品。
 見た目は、炊飯器らしきもの、そして鍋とポットが合体している、といったところでしょうか。
 ちなみに同社からは『スーパーシェフ』という名前で、やはり炊飯器そのものにしか見えない商品も販売されているようです。

 世界で広がる、炊飯器の需要。
 これほどまでに万能な機器だったことを今まで知らなかったあなたは、かなり損してたかも!? 
 というわけで今後はご家庭で炊飯器料理、試してみてはいかがでしょうか。

▼『Lakeland』社の『マルチシェフ』、ビジュアルはこんな感じです


▼これ1台でこーんなディナーが作れちゃうの!







【うすっぺらな遺伝子】



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2013年10月10日木曜日

Japanese Dancers Charity Recital:華麗な舞のチャリテイーリサイタル開催

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 日本食品店にポスターが貼ってあった。
 『Japanese Dancers Charity Recital 』
  今度の日曜日である。
 1時から3時半までである。
 出かけてみようかと思っている。

 検索してみる。
 別のポスターが出てきた。




さて当日、ちょっと早めにいってみる。
 とうのは、時間が時間なので模擬店で焼きそばかなんかを食べようと思ったのだが。
 だが残念至極、何も出ていなかった。
 となりのパシフィックフェアーで昼食を済ませて戻ってくる。


● 演目とタイムテーブル


● 主な出演者の紹介

 『和太鼓絆』はここでは有名でいろいろ発信されているので省くとして、他の紹介された2つのグループを見てみる。

■まずは『ジャパニーズダンシング舞』


 『Japanese Dancing Mai』はこのチャリテイの主催者でもある。


 『祝い目出度』の冒頭部分を。



■次は『茨木絆の会:舞島正之輔』


 『出世佐渡情話』の冒頭部分。


 『舞島ソーラン』の前半部分。





【うすっぺらな遺伝子】



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2013年10月6日日曜日

吉村昭著『虹の翼』:松山:フライブルグ

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● 吉村昭著『虹の翼』 旧版表紙

 四ツ谷荒木町といえば飲み屋街で有名。
 津守坂通りという道をはさんで三栄湯という銭湯がある。
 そこは三栄町になる。
 このお風呂屋の脇の狭い道を鍵の手状に後ろの道にぬけると四ツ谷税務署がある。
 三栄湯の後ろ、クランク形の路地の脇にあたるところにあったのが航空神社。
 もちろん、本格的なものではなく路傍やビルの屋上に設置されているお稲荷さんに似た大きなオモチャみたいな神社である。
 なぜ、こんなところに神社がありそれも「航空」神社といったへんてこな名前がついているのだろうと不思議におもっていた。
 そのとき、ここは空き地で駐車場になっていた。
 もしかしたら、航空関係の出版社でも脇のビルに入っていたのかもしれない。
 だが、この近くにある三栄書房は「モーターファン」という雑誌を出していたが、モーター神社はなかったと思う。
 この間、日本へいったとき、改めてそこを通ってみたが、航空神社はいまはなかった。
 ニ、三十年も昔のことであるから已む得ない。
 
 先日見つけた古本が吉村昭著『虹の翼』。
 吉村昭の作品は相当読んでいるつもりであるが、このタイトルは初めてであった。
 この文庫本は旧版で字体も小さく読みにくいが、著者の力量だろう一気に読み切ってしまった。



 この旧版は「1983年9月25日」とあるからちょうど30年前に発行されたものである。
 古さの貫禄でセピア色に変色している。
 現在は新版が出ているので、読みやすくなっているはずである。

 この小説の主人公は「二宮忠八」といって、日本で最初に飛行器(飛行機ではなく飛行器)の原理を研究した人である。

 解説から引用する。

 軍隊の演習時に、カラスが飛び立つのをじっと観察していると、飛び立つときは両翼をあおるが、やがてそれを止め、両翼を上向きに曲げて滑空していく。
 そのとき、羽ばたかなくても上昇できるのは空気の抵抗ゆえだと思いつき、鳥や昆虫の翼面積、仰角度、体重比の観察記録を重ね、ゴム紐のコブの弾力を利用して四枚羽のプロペラ、さらに車輪をとりつけるなどして「鳥型飛行器」の模型を作って実験し、成功する。
 明治24年のこの実験は実にライト兄弟が世界初の飛行機を飛ばすことに成功する12年前のことだったのである。
 2年後かれは複葉の玉虫型飛行器の模型を作るのだが、人間を乗せるには相応の重量の動力を必要

とし、その製作には充分の資金がかかり、彼個人では無理と判断し、軍隊に委ねることにする。
 しかし、勤続する軍に三度にわたって飛行器製作の上申書を提出するが、残念ながらすべて蹴られてしまう。
 ついに自らが製作するしかないと心に決め、その製作費用を稼ぐために軍隊をやめ実業界へと転身する。
 そして、資金をため、実業界から半分身を引いて飛行器製作にとりかかったとき、西欧では同じ原理で飛行機が空を飛び始めていたのである。
 後日、二宮忠八はその研究を顕彰されるが、 しかし、飛行機による事故も多く、老いて二宮忠八は飛行機による殉難者の慰霊を思い立ち、自ら神主の資格をとって「飛行神社」を建立する、ことになる。


● 吉村昭著『虹の翼』 あとがき

 というのがこの本のあらすじである。

飛行神社

 公開日: 2012/12/29
模型といえども世界初の動力飛行機を発明した二宮忠八を祀った神社で、飛行機の安全、航空関係で働く人の安全などを祈って訪れる人も多い。
もともとは四国の八幡浜市で実験や活躍していたが忠八が大阪に移動したため同名の京都八幡市に神社ができる。

ライト兄弟よりも先に飛ばした、二宮忠八(飛行器) 

 公開日: 2012/07/21
二宮忠八 (1866年-1936年) 陸軍・松山連隊の薬剤手であった二宮忠八。
1891年4月29日 日本初の動力飛行。(カラス型飛行器)。 (高度1m、飛行距離30m) ...次に人の乗れる玉虫型飛行器を考案、
1893年に 設計を完了し試作実験に入る
1894年 日清戦争に出兵。 (独力で作るしかないと決意し軍を除隊)
1898年 大日本製薬㈱に入社し職工として活躍。(条件や資金も貯えられため)
1900年 京都府八幡町にて、完成に向けて努力。
1903年12月 アメリカのライト兄弟が飛行機を完成。 これにより、二宮忠八は、製作を断念。 (ライト兄弟の真似と評価をされるため)
1915年 飛行神社を創建。 (航空安全と航空事業の発展を祈願)
1919年 軍部は二宮忠八の研究を評価。

☆〈後世に広く認知されなかった理由〉
 「特許」という形にならなかったのも原因。
☆「飛行器」の名付け親。後、1901年森鴎外が「飛行機」と使用。
(飛行神社HP・二宮忠八飛行館HPや、
古典航空機電脳博物館HPの日本・民間航空の曙 など参考に) 
☆飛行神社(京都府八幡市)
飛行機によく使われる金属から、鳥居もジェラルミン製


 航空神社に飛行神社、なんとなく似ているが内容はまったくべつのものである。

航空神社
http://www.aero.or.jp/jinjya/jinjya.html
さて、航空神社の四ツ谷版を検索してみたのだが、そういうものはなくまるでひっかからなかった。
 小さな道端の社ですので、記録もなかなか残っていないでしょう。
 そのうち見つかるかもしれないという希望だけは残しておきます。


 二宮忠八は愛媛県八幡浜に生まれている。
 どこかというと、下の地図で松山の左下、佐田岬半島の付け根にあたる。
 その上の大洲は「おはなはん」で有名はところである。



 この春、松山・道後温泉にいったのだが、居続けで3泊した。
 計画時は別府に飛んでここで遊んで、フェリーで佐田岬にわたり、半島を縦断して大洲から松山・道後温泉にはいることになっており、宿泊も4泊から5泊を予定していた。
 だがどうも旅行時の移動というのが苦手で同じところに3泊でおさまってしまった。
 その関係でこの辺の地名は頭に入っており、本を読んでいても明瞭に地理関係を把握できた。
 実際、二宮忠八は看護兵として松山連隊に勤務している。
 そんなこともあって、この本、私にとって今年のは珠玉の一冊になった。

 ところで松山だが、個人的な話だが、私はここが好きになった。
 なぜかというと、何もかもゆっくり動いていることがいい。
 なにしろ「警察交番」で20分も案内をうけたほどの街である。
 つきつめていうと人は少ないことがなによりいい。
 生まれ育ちも東京なので、雑踏は怖くはないし嫌いでもない。
 でも、人がいない、少ないというのは何とも安心する。
 例えば家の近くのクリーク沿いの散歩道をいくと小一時間、まるで人に出会うことなく戻ってくることができる。
 ときに、今日は人によく会ったな、と思うことがあるが、それでも数人に過ぎない。
 何しろ人がいない。
 それがいい。
 松山はそうはいかないが、それでも東京よりかはいい。
 ド田舎へいけば人などいないよ、というが、それはそうだが、ネはやはり文明人であり、まったく人のいない無人島もどきはダメだろうと思う。


 以前に書いたが、息子はドイツに1年の予定で行っている。
 落ち着き先はフライブルクという都市。
 ご存知ない方も多いでしょう。
 実際、私もどこだかわからなかった。
 調べてみてそういう都市もあることがわかったほど。
 というのは、小さな都市で小学校の社会地図、ならびに中学校のヨーロッパ地図には載っていない。
 中学校のヨーロッパ詳細地図になってはじめて現れてくる都市である。
 場所はフランス、ドイツ、スイスという三国の境界から最も近いドイツの都市になり、もよりの飛行場はスイスのチーリッヒになる。
 人口20万人ほどである。
 問題となるのは、この街がなんと道後温泉の松山市と姉妹都市だということである。
 これには少々、因縁を感じてしまう。
 もちろん、だからといって何か大事があるわけでもない。
 ただこの春に、半世紀ぶり(これはサバの読みすぎだが)訪れてのんびりした道後の街であり、つい数日前に読んだ本の主人公の街であり、そして息子の滞在先の姉妹都市でもあるという偶然に少々驚いたということである。

 
Wikipediaでみてみる。



 上はドイツの地図だが、フライブルグはこの左下に位置する。
 左側はフランス、下側はスイスになる



● Wikipediaの写真

 松山は海に面している。
 しかし、フライブルグはアルプスの下になるので海とは無縁である。
 ではなぜそんなところと松山は姉妹都市となったのか。
ホームページで見てみる。


松山市ホームページ  更新日:2013年4月3日
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/kokusaikoryu/kokusaikouryu.html

姉妹・友好都市との交流

ドイツ・フライブルク市
〇提携の動機とその経過

 本市は松山市政100周年を記念して、昭和36年から友好都市として交流を続けてきたドイツ・フライブルク市と平成元年4月4日に姉妹都市を提携した。
 本市とフ市との出会いは、昭和36年に始まる。
 市の産業振興を図る本市が、戦後目覚しい復興を遂げた西ドイツの街へ青年の派遣を目指した時に、その青年を快く引き受けてくれたのがフ市であった。

その後、両市は、大学関係者や市民同士の民間レベルでの相互交流、本市助役一行の訪フ市等、地道な交流を続けてきたが、昭和60年のフ市長の来松を機に、両市の友好交流は大きな進展をみせた。

以来、本市中学生や、シルバー海外派遣団のフ市訪問、フ市からの留学生の来松や、両市経済交流代表団の相互訪問、平成6年4月には、市街地の公園内に友好のシンボルとなるフライブルク庭園が完成した。
 平成11年5月には姉妹都市提携10周年記念松山代表団がフ市を訪問するとともに、6月にはフ市代表団が来松しベーメ市長の参加を得た「地球環境シンポジウムIN松山」を開催した。
 平成12年7月には、友好親善代表団がフ市を訪問し、「文化交流の促進」等について両市の間で合意がなされ、姉妹都市交流をさらに実のある交流へと発展させている。



松山市ホームページ  更新日:2013年4月1日
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/kokusaikoryu/fraiburug.html


フライブルク市位置図

「森とワインとゴシックの街」フライブルク市★

■市名/Freiburg im Breisgau
■位置/ドイツの南西部。フランス、スイスの国境に近い。
■気候/平地は乾燥して暖かいシュヴァルツヴァルトでは風が強く寒い。
■人口/約23万人

 森とワインとゴシックの街、そしてエコポリスとして、注目されるフライブルク市と、交流の輪を広げています。

 フライブルク市は、中世文化の遺産を継承しようとする市民の熱意によって築かれた、中世初期の雰囲気が漂う素晴しい街です。
 市内には博物館をはじめ、13世紀初頭から3世紀を要して建てられたミュンスター(大聖堂)などの歴史的文化遺産も多く、特に近年は環境重視のまちづくりを進め、エコポリス(環境都市)として世界から注目を集めています。

 平成元年4月姉妹都市提携以来、両市は文化・経済・技術交流など多彩な文化を繰り広げています。
 平成6年4月には、市街地の公園内に友好のシンボルとなるフライブルク庭園が完成したほか、平成11年6月にはフライブルク市代表団が来松し、ベーメ市長の参加を得た「地球環境シンポジウムinまつやま」が開催されました。
 

 平成17年4月には、フ市から来松した5人の芸術家による作品展や、平成18年4月には本市の芸術家ら5名がフ市で「松山のアート展」として、作品展やワークショップなどを行い、また、平成19年1月にはフライブルク仮面演劇団による松山公演やワークショップを行うなど、芸術交流を中心に、姉妹都市交流をさらに実のある交流へと発展させています。

 平成12年7月には,友好親善代表団がフ市を訪問、新たな交流をスタートさせたほか、平成14年11月には、本市の市長がフ市で、また、平成15年10月には、フ市の新市長Dr.ディーター・サロモン氏が本市で、それぞれまちづくりに関する講演会や意見交換を行いました。

 平成20年10月には、姉妹都市提携20周年記念松山代表団がフライブルク市を訪問し、記念式典に出席しました。その際に、愛媛FCとフライブルクSCとの「フレンドシップ協定」が締結されました。式典では今後の両市の更なる交流を確認しました。

 平成21年4月には、フライブルク市代表団が来松し、Dr.ディーター・サロモン市長が基調講演した「ゼロエミッションまつやま」が開催され、両市の環境施策の紹介がされ、更なる両市の協力を確認しました。他にも、議会・教育・スポーツ・環境分野の視察をしました。


息子がどのくらい滞在するのかわからないが、時期が合えば行って見たい気もする。
 私はあまり旅行好きではないので、これまで一度もアメリカもヨーロッパも行ったことがない。
 もし出かけることになったら、「小生一世一代の海外旅行」となるかも。




【うすっぺらな遺伝子】



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2013年9月20日金曜日

オーストラリア新政権、トニー・アボット:「マッド・モンク」の登場

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●「マッド・モンク」と呼ばれたトニー・アボット氏は9月18日、就任宣誓式に臨み、正式に首相に就任した〔AFPBB News〕


JB Press 2013.09.20(金) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38744

オーストラリア新政権:「マッド・モンク」の登場
(英エコノミスト誌 2013年9月14日号)

荒くれ者から首相へと上り詰めたトニー・アボット氏の華麗な転身
トニー・アボット新首相が就任宣誓、オーストラリア


 経済学者のロス・ガーノート氏の言う
 「オーストラリアの大いなる慢心」が終わりを迎えようとしている
のかもしれない。
 ガーノート氏いわく、オーストラリア人は1990~91年以降、「先進国としては史上最長の不況知らずの景気拡大期を享受してきた」。

近年、そうした好景気は、オーストラリアを掘り起こして資源を中国に売るという比較的単純なビジネスに支えられてきた。
 月7日の総選挙に向けた選挙戦は、
 中国経済の成長鈍化と、オーストラリアの運が尽きかけている
ことから新しい発想が必要だという感覚を背景に戦われた。

 6年に及ぶ労働党支配に終止符を打ち、自由党と国民党の保守連合を選んだ――従ってジョン・アボット氏を首相に選出した――ことで、有権者は確かに変化を支持した。

■変化を支持したオーストラリア国民

 労働党はある程度、労働党政権の特徴だった退屈で自滅的な内紛を責めるといいだろう。
 2007年に首相に選出されたケビン・ラッド氏は、その3年後に党内クーデターによって失脚したかと思えば、今回の選挙の直前にまんまと首相に返り咲いていた。

 だが、投票結果はそれと同時に、経済政策や社会政策、気候変動の問題について、オーストラリアの政治が明らかに右傾化したことも示している。

 アボット氏は、今回の選挙は、労働党政権が導入し、同氏が廃止を望む「炭素税」に関する国民投票だと述べた。
 だとしたら、有権者ははっきり意見を述べたことになる。
 保守連合は下院(議員定数150)では、野党・労働党に少なくとも30議席の差をつけて大多数を占める見込みだ。

 だが、今回の選挙で定数の76議席のうち40議席しか改選対象でなかった上院では、アボット氏は問題に見舞われるだろう。

 極めて複雑な選挙制度のために、勢力バランスの行方はどうやら8人程度の無所属議員と少数政党の手に委ねられたようだ。
 そうした少数政党の1つが、クイーンズランド出身で鉱業で財を成した大富豪クライブ・パーマー氏率いるパーマー統一党だ。
 同党は上院で2議席を獲得する可能性があるが、上院議員候補の1人は炭素税の廃止に賛成票を投じないかもしれないと述べていた。

 ほかに議席を手に入れそうな政党には、オーストラリアスポーツ党やオーストラリア自動車愛好者党がある(後者の自動車愛好者党は中核的な価値観として、最小限の政府、集会の自由、そして「仲間意識(mateship)」」を掲げている)。これらの政党の投票行動は読めない。

 アボット氏は1970年代に学生運動のリーダーを務めた頃から、オーストラリアの中でも最も乱暴で喧嘩っ早い政治家の1人として頭角を現した。
 ローズ奨学生としてオクスフォード大学で学び、同大学を代表してボクシングの試合に出場。
 その後、しばらくの間、カトリック神学校に在籍し、19年前に議員になる前にはジャーナリストとして働いたこともある。

 攻撃的なスタイルと多くの失言から、メディアはアボット氏のことを「マッド・モンク(怒れる修道士、あるいは狂った修道士の意)」と呼んでいた。
 だが2009年後半、同氏は水面下でジョン・ハワード氏――1996年から2007年まで首相を務めた自由党の大物で、アボット氏にとっては最大の擁護者であると同時に英雄でもある――の支援を受け、1票差で自由党党首の座を手に入れた。

 アボット氏はハワード氏とよく似たタイプの社会的保守派で、例えば同性婚に反対している。だが、自らをマーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンの伝統を汲んだ存在として位置づけながら、問題が自由党の市場志向のスタンスに及ぶと、その考えは読みにくくなる。

 アボット氏の宗教的なバックグラウンドに、大企業に対する疑念と政府の介入に対する支持を嗅ぎ取る人もいる。
 例えば、同氏が掲げた、多額の予算を割く有給育児休暇の連邦制度は、自由党の本領である小さな政府の保守主義と相容れない。

■選挙戦であまり争点にならなかった外交政策は・・・

 選挙戦では、外交問題はほとんど取り上げられなかった。
 恐らく、大半の重要な問題については超党派のコンセンサスがあるからだろう。
 だが、中国語を話す元外交官のラッド氏は、外交政策に関するアボット氏の資質をあざ笑い、シリア内戦に関する同氏の分析(「悪者同士の戦い」)は「国際関係のジョン・ウェイン学派」に属すると述べた。

 アボット氏は恐らく、それについてはあまり気にしなかったろう。
 スポーツウエア姿をよく写真に撮られる同氏は、海(アボット氏はボランティアで救助員を務める)やバーベキュー(ボランティアの消防士でもある)、ジムによくいるオーストラリア人男性のイメージを前面に押し出そうとしている。

 保守連合は明確な外交政策を2つしか打ち出していない。1つは、亡命希望者を乗せたボートを追い返すために海軍を使うという物議を醸す計画。もう1つは、4年間で対外援助予算を45億豪ドル(42億米ドル)削る政策だ。

 その他の点では、保守連合の政策は「ジュネーブよりもジャカルタ」という言葉に要約される。
 このスローガンは、オーストラリアが今や、同国の貿易の3分の2以上を占める近隣アジア諸国と一蓮托生だということ、そして新首相もそれを理解していることを認めるものだ。

 アボット氏は「アングロスフィア」への忠誠心と距離を置かねばならなかった。
 アボット氏は2009年に出版した自伝『Battlelines(戦線)』で、オーストラリアと米国の同盟関係と英国および英国王室との関係を支持する気持ちについて綴っている。
 しかし今、新政権の外相を務めるジュリー・ビショップ氏は、アボット氏の政策は
 「それだけではないが、一義的に」インド太平洋地域を重視すると言う。

 新首相の最初の外遊先はインドネシアになる。
 これは難しい船出になるかもしれない。
 オーストラリアに向かうボートピープルの大半の中継点であるインドネシアは、彼らを追い返そうとするアボット氏の計画にいい気持ちはしていない。

 それ以上に重要なのは、オーストラリアにとって最大の市場である中国をどう扱うか、だ。
 ラッド氏は中国語を流暢に操ることを称賛されるどころか、自党議員から批判されるのと同じくらい北京でも酷評された。

 対照的にハワード氏は、イラクとアフガニスタンに軍隊を送り込んで米国との関係を強化すると同時に、中国との関係も改善した。
 アボット氏も同じことをやりたいと思っている。

■驚き、驚き

 しかし、ハワード氏の首相時代以降、中国が自己主張を強める一方で、米国が鳴り物入りのアジアへの戦略的「ピボット(旋回)」で反攻に出ている。
 アジアへのピボットの一面が、オーストラリア北部ダーウィンに2500人の米海兵隊員をローテーション配備するという2011年の合意だ。

 ビショップ氏は米海兵隊の配備に対する中国の怒りは、事前の根回しがなかったことが原因だと主張し、アボット氏は、そうした危険は「ノーサプライズ」のアプローチで回避すると言う。

 だが、台頭する中国と、現在の超大国である米国との軍事的な対立が激しくなる中で、外交儀礼以上の対応が必要となる。
 アボット氏は自伝で、次第に高まる中国の強さは必ずしも
 「オーストラリアの国際関係や外交政策の優先順位にとって大した変化を意味しないかもしれない」
と書いている。

 今のところは、確かにその通りだ。
 だが、もしかしたらそれもまた大いなる慢心の1つだったということになるかもしれない。

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英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。




【うすっぺらな遺伝子】



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2013年9月15日日曜日

各国のグルメを使った国旗を制作:オーストラリア企業

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●13日、フランス料理と言えばチーズやワイン、イタリア料理と言えばピザ、インド料理と言えばカレーを連想することだろうが、各国の食べ物を使って国旗を作ろうとは誰も思いつかないだろう。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月15日 18時36分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=76773&type=0

各国のグルメを使った国旗を制作―豪企業
 
 2013年9月13日、フランス料理と言えばチーズやワイン、イタリア料理と言えばピザ、インド料理と言えばカレーを連想することだろうが、各国の食べ物を使って国旗を作ろうとは誰も思いつかないだろう。
 オーストラリアのある企業がそれぞれの国と関係のある食べ物を使って、17カ国の食べ物による「国旗」を制作した。
 環球網が英デイリー・メールの報道として伝えた。

 英国の国旗はスコーン、バター、様々な色のジャムで作られ、
 米国の星条旗はホットドッグにマスタードで50の星をあしらっている。
 オーストラリアの国旗はミートパイとジャム、
 フランスの国旗はブリーチーズ、ブルーチーズ、ブドウで構成されている。
 他にもインド、トルコ、スイスなどの国旗が作られている。

 このオーストラリア企業はクレイブ・シドニー・インターナショナル・フード・フェスティバル(Crave Sydney International Food Festival)にあわせてこれらの国旗の写真を発表した。
 同フェスティバルはオーストラリアで最大規模のフード・フェスティバルで、去年は100万人近くのグルメ愛好家が訪れた。









(提供/人民網日本語版・翻訳/YH・編集/武藤)