2014年3月28日金曜日

これはびっくり:100円が3,200万円に

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●豪シドニー(Sydney)で、オークションに先立ち公開された豪州大陸初の10シリング紙幣(2014年3月12日撮影)。(c)AFP/William WEST



AFP BB ニュース 2014年03月27日 15:31 発信地:シドニー/オーストラリア 【写真】 【ブログ】
http://www.afpbb.com/articles/-/3011077

豪州大陸で初めて発行の紙幣、唯一の1枚に3200万円

【3月27日 AFP】
 英植民地時代のオーストラリアで初めて発行された紙幣で現存する唯一の実物が26日、シドニー(Sydney)で競売に掛けられ、予想を上回る33万4000豪ドル(約3200万円)で落札された。
 競売を主催したコイン・紙幣専門の豪競売ノーブル・ニュミスマティクス(Noble Numismatics)が27日、明らかにした。

 ノーブル・ニュミスマティクスによると、この紙幣は豪ニューサウスウェールズ銀行(Bank of New South Wales、現ウエストパック銀行、Westpac)が1817年に発行した10シリング紙幣100枚のうちの1枚。
 2005年に英スコットランド(Scotland)で個人コレクションの中から見つかった後、個人コレクターが所有していた。

 同競売のジム・ノーブル(Jim Noble)氏によると、紙幣は発行当時のニューサウスウェールズ植民地総督だったラクラン・マクウォリー(Lachlan Macquari)かその部下が、マクウォリーの故郷スコットランドに持ち帰ったものと考えられている。

 今回、競売にかけられたものが現存が確認されている唯一の実物で、植民地時代の紙幣についた価格としては史上最高額だという。
(c)AFP


 さて、「10シリング」とはいくらなのか。
 知恵袋で調べてみたら、1シリング=10.5円だそうである。


Yahoo 知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118405412

問:「1シリング」は日本円でいくらですか?
 jn38w1c0163x1aさん
     質問日時:
        2013/12/24 17:40:46
        ケータイからの投稿

答え:ベストアンサーに選ばれた回答
  解決日時:         2013/12/24 18:04:03
 hide_zilch_xさん
 http://ja.coinmill.com/ATS_JPY.html#ATS=1

 10.5円くらいですかね


 ということは10シリングだと「105円」になる。
 それがなんと「3,200万円」に。
 ウーンとびっくり。
 現在のウエストパック銀行が発行した200年前に発行した紙幣だという。
 200年で100円が3,200万円に、なんともびっくり。



【 うすっぺらな遺伝子 


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2014年3月26日水曜日

ツチノコの子ども捕まえる:といってもアオジタトカゲだが

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 ところでここは「ツチノコ生息地」として知られている、知っている人は知っているという有名な団地?
 つまり私が住む団地である。
 ただ残念なことにここが 著名なツチノコ生息地であるということを知っている住人でもわずかに過ぎない。
 マネージャー(管理人)すら知らないのだから、これは已む得ない。
 逆にツチノコ生息地などと言ったら、住人がいなくなってしまうかもしれない。
  


 2011年9月と2012年7月にその姿を見ているが、昨年はどういうわけか見ていない。
 しかし、今日久しぶりにその姿を拝見。
 といっても子ども。
 シーズン的には秋のはじめになるので繁殖期直後にあたるようである。
 見てわかるように、皮膚は蛇のようにツルツル。
 胴回りと足からしてトカゲ。
 足はトカゲにしては異様に小さい。
 つまり、トカゲが蛇に進化していく途中にある種とみるのが妥当。
 この形から足がとれると「ツチノコ」になる。
 つまり、ツチノコとはこのトカゲから蛇になる進化の過程で生まれた幻の生物
ということになる。
 ということは、ツチノコは存在したということになる。
 ただおそらく、足を失ったトカゲが蛇に進化する過程があまりに速やかなので、その時期の種の存続が出来ずに消えたということである。
  


 前とおなじようにスノコの上に姿を見せていた。
 足の細さからして相変わらずトロイのでいとも簡単に捕まえた。
 バスタブに入れて写真を撮って、しばらく遊んで逃してやった。
 もし、この細っこい手足を引き抜いて野に放ったら、蛇のようにくねくねと進むのであろうか。
 学者ならやりかねないが、どうも私には無理だ。
 あまりにも心優しいからだ。



 ツチノコへの進化の過程にあるこのオーストラリアの準ツチノコは「アオジタトカゲ」である。
 
 ところで、ここにはトカゲがウンジャマんじゃといる。
 夏場にクリーク沿いを歩けば、ちびトカゲがちょろちょろしている。
 長さはだいたい15センチくらい。
 大きくなって60センチから70センチくらいだろう。
 1メーターを楽に超えるトカゲを見たこともあるが。
 これ、日本人には壮観に映る。
 首を持ち上げカッツと空を睨んでいる姿など実に清々しく美的である。
 まあ爬虫類の嫌いな人にとっては気持ち悪いだろうが。
 今日のツチノコは20センチをわずかだが超えているのではないだろうか。

 さてこのトカゲだが数種類いるがどれも毒がない。
 ワニもそうだが毒がない。
 だから誰もトカゲを捕まえるなとはいわない。
 ワニには食われてしまうが、トカゲに食われることはない。
 だが、それが蛇になるとまったく事情が異なる。
 蛇はトカゲから進歩したはずなら毒がなくて当然だが、ここの蛇の半分は毒を持っているという。
 これ進化論的にはおかしいのではないのだろうか。
 それとも手足を失った分だけ、保身のために毒性を持つようになったのであろうか。
 ためにこちらの人は、「絶対に蛇には手を出すな」ときつく言う。
 ただ、蛇はほとんど見かけない。
 圧倒的に数が少ないのである。
 つまりここは「トカゲの時代」にいるということになる。
 まれにその幾つかが急速に進化する事情を得て蛇化したと考えられる。
 
 日本ではこちらほど大きなトカゲはいない。
 ところが蛇はウジャウジャいる。
 日本はトカゲの時代を過ぎて「蛇の時代」にいるということになる。
 若いころ尾瀬沼に行ったときのことだが、遊歩道の板の上に重なるようにたむろしていて、一瞬ぎょっとしたことがある。
 あらゆるトカゲが蛇に進化した後の姿が日本になる。
 蛇に進化しそこなったのは小さなトカゲのみになる。
 日本の蛇のほとんどは毒を持たない。
 唯一の例外がマムシだろう。
 ヤマカガシにも毒があるというが、この毒でどうこうしたというのは聞いたことがないので弱性なのだろう。
  つまり日本の蛇は気持ち悪いだけの蛇である。 

 地域によってトカゲも蛇もそれぞれの進化を遂げたようである。
 ツチノコには猛毒があると言われている。
 ツチノコの種が日本で生き残ったとすると、トカゲの時は毒がないはずであるから、手足を失った時に毒を手に入れたことになる。
 また日本の蛇の大方は毒を持たないことから、ツチノコはマムシに変化したということになる。
 まとめると日本のトカゲが進化したときの姿はイメージとしてアオジタトカゲのような形をしていたのではなかろうか。
 さらなる進化で完全に手足(といっても4本の足だが)を失い、それを補填する形で毒性を持つに至った。
 それがツチノコである。
 このツチノコはさらに進化して胴体がほそり蛇になっていく。
 その蛇とはマムシであった、ということになる。
 進化論的にはそうなるだろう。

 ということはもしこの地でツチノコ種が残ったとしたら、果たしてどの蛇の祖先になったのであろうか、という疑問が出てくる。
 だがこれはこの地でツチノコが発見されないかぎり解明不能な課題にもなる。

【参照】

 NICHIGO PRESS April 2014





【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年12月14日土曜日

電力会社:「ノックお断り」の表示を無視して営業、罰金550万円

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 日本なら自動車と新聞のセールスがウルサイが、こちらは電力会社と有線テレビがウルサイ。
 特に電力会社は数社が入り乱れている。
 しつこさに負けて、その会社に変えてしまうのを繰り返している。
 何回変えたか。
 一体、うちは今、どこと契約しているのかと、考え込むほど。


AFP BBニュース
http://www.afpbb.com/articles/-/3005060

「ノックお断り」の表示を無視して営業、罰金550万円


●オーストラリア・シドニー(Sydney)で、豪ドル紙幣を広げる買い物客(2010年6月7日撮影、資料写真)。(c)AFP/Torsten BLACKWOOD

【12月13日 AFP】
 オーストラリアで、ガス会社の営業担当者が「ノックお断り」と書かれたドアの張り紙を無視して、その家で訪問販売をしようとしたため、ガス会社と営業担当者の雇用元企業が総額6万豪ドル(約550万円)の罰金を支払う羽目に陥った。

 2011年11月、飛び込みの家庭訪問販売を行っていた豪エネルギー会社、AGLサウスオーストラリア(AGL South Australia)の営業担当は「ノックお断り」の表示が貼られていた家にも、これを無視して飛び込み営業を行った。

 これについて豪連邦裁判所は、AGLに3万5000豪ドル(約320万円)、営業担当者の派遣元のマーケティング企業CPMオーストラリア(CPM Australia)に2万5000豪ドル(約230万円)の罰金の支払いを命じた。

 裁判所は、罰金刑は
 「罰金対象の当該者および同業他社による今回のような訪問販売行為を抑止する必要の重要性を反映したものだ」
と説明した。

 オーストラリアの公正競争監視当局も、
 「消費者宅の正面玄関に貼られた表示には、ノックをするこぶしに線が引いてある絵とともに『ノックお断り』の文字があり、訪問販売を歓迎していないことは明らかだ。
 それにも関わらず営業担当者は、この家のドアをノックして契約を取り付けようとした」
との声明を発表した。

 豪競争・消費者委員会(Australian Competition and Consumer Commission、ACCC、公正取引委員会に相当)によれば、訪問販売などで消費者契約に関連する法律に違反した場合の罰金は最高で5豪万ドル(約460万円)だという。

(c)AFP


 我が家も「ノックお断り」を貼って5万ドルの罰金をせしめようか!

 調べてみた。
 最近、AGLからoriginに変わっている。
 確かその前はインテグラだったような気がする。



【 うすっぺらな遺伝子 


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トヨタもGMと同様に豪州から撤退する日が迫っている:産業構造の変換ができるか?

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 来るべきときが来る、そんな気分である。
 なにしろここの物価は高い。
 ついでに賃金も高い。
 なら企業は逃げ出す。
 企業が消えれば産業はなりたたない。
 それでもやっていけたのは、大地に眠る地下資源の数々の恩恵による。
 中国の台頭で、楽日を謳歌した。
 しかし、中国の成長も先が見えてきた。
 内閣府は「中所得国の罠」におちいるだろうと予告している。
 中国なきあと、オーストラリアはどうやって生きていくのか?
 もはや、ここでは 
 大量生産品を作るという工業システムの産業は生きていけない
のではないだろうか。
 なんて心配をする必要はない。
 ここの強みは、なんと言ったって
 「人口が少ない
ことだ。
 アホな経済学者は生産人口の少なさを危惧するような論説を多々発表しているが、どれもほとんど無能の論理。
 日本は2050年までに1億人を切るという。
 大いに結構。
 オーストラリアは圧倒的に人口が少なく、何しろ地面の下には資源が眠り、地面には穀物が実る。
 地面の上では牛と羊とカンガルーが群れる。
 年間、横浜市の人口に匹敵する数のカンガルーが殺される。
 多くはキャットフード・ドッグフードに変身する。
 それだけ殺しても減らない。
 数にして360万頭が殺されてもカンガルーは減らないのである。
 何が言いたいかというと、ここはとんでもない国だということです。
  常識が時々通用しなくなる。
 それが日常化すると、何かやたらとオージー化してしまったのかと不安になってくる。
 そこで、産業衰退のシビアな常識的な記事を。


ウォールストリートジャーナル     2013年 12月 13日 16:47 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303747904579255452624892352.html?mod=WSJJP_hpp_RIGHTTopStoriesFirst

トヨタ、豪撤退を警告―アボット首相は引き止め努力
By     ROB TAYLOR


●トヨタ車の運転席に座るアボット豪首相

 【キャンベラ(オーストラリア)】
 オーストラリアでの自動車生産を維持したい同国政府にとって、メルボルン郊外のアルトナにあるトヨタ自動車の工場は、いわば最後の決戦場になっている。

 米ゼネラル・モーターズ(GM)が最近表明した通り2017年に豪州の2工場を閉鎖すれば、
 トヨタは豪州で自動車を生産する唯一のメーカーになる。
 トヨタはこれまで豪ドル高から受ける打撃に対処してきた。
 例えば雇用を削減し、アルトナ工場での生産維持のための政府支援を受け取ってきた。

 しかしトヨタは12日、アボット豪首相に対し、トヨタもGMと同様に豪州から撤退する日が迫っているかもしれないと警告した。

 トヨタは
 「当社のサプライヤー(供給業者)、主要なステークホルダー(利害関係者)、それに政府とともに相談して、われわれの次のステップを決定し、豪州唯一の自動車メーカーとして操業を続けられるか否か判断したい」
と述べた。

 トヨタは豪州で生産する車の70%を輸出している。
 トヨタは、GMの決定が連鎖反応を引き起こす可能性があると指摘し、サプライヤーが市場の半分を失って破産するかもしれないと述べた。
 そして、この結果、自動車部品の価格や労働コストが上がる恐れがあり、豪州で乗用車の「カムリ」と「オーリオン」の生産を継続すれば利益が圧縮されるかもしれないと述べた。

 GMは10日、17年までに豪州での生産を中止すると発表した。
 これは高コストになった進出先の国から外国自動車メーカーが撤退する動きが加速化していることを浮き彫りにしている。
 GMの工場閉鎖によって2900人強が失業し、南オーストラリアとビクトリアの2州の工業地帯が最も大きな影響を受けるとみられる。
 両州では何十年にもわたって工場の雇用が減っている。

 自動車産業はかつて、豪州の戦後の製造業隆盛の象徴として称賛された。
 その崩壊が差し迫っているかもしれない事態を受け、アボット首相は引き止め攻勢に出ている。

 アボット首相は「われわれはトヨタの生産継続を望んでいる」と述べた。
 同首相はトヨタ豪州法人の安田政秀社長に電話をかけたことを明らかにしたが、話し合いの内容は公表しなかった。アボット政権は、GMの工場閉鎖を回避するために断固たる行動を取らず、GMのホールデン部門存続のための公的支援を増額しなかったとして、議会で批判にさらされている。


●2008年と13年の豪州自動車市場の各社マーケットシェア(VFACTS調べ)

 アボット首相は、トヨタとGMの立場は若干異なると指摘。
 これは、トヨタの豪州生産が主に輸出目的で、大半の車が中東に出荷されているためだと述べた。

 トヨタの豪州法人はコスト削減を進め、前年度(今年3月終了)の損益は2億2090万豪ドル(約207億円)の黒字に達した。
 それでも同社は豪州で大きな困難に直面している。
 消費者の好みがカムリのような比較的大型の乗用車から、輸入されたスポーツ用多目的車(SUV)にシフトしているためだ。
 豪州で最も売れているトヨタ車は「カローラ」だが、これは同国内で生産されていない。

 アボット首相は、政府が数日中にホールデンの従業員とトヨタ向けの支援策を発表すると述べた。
 GMが17年に撤退するまでに、研究開発の強化、教育、それに「ニッチ事業」に対しても支援を提供するという。

 アボット首相は
 「われわれはこういった人々を落胆させない。
 現在課せられている任務は、わが国の基礎力を生かすことだ」
と述べた。

 豪州の失業率は既に08年の金融危機以降見られなかった水準にまで上昇している。
 かつてブームを巻き起こした資源セクターでは今年、何千人もの労働者が職を失った
 関係企業がコモディティー価格の下落への対応を迫られたためだ。
 一方、同国を代表する航空会社のカンタス航空は最近、損失を減らすため1000人の従業員を削減すると発表した。

 経済成長は急速に鈍化している。
 消費者信頼感の低下、企業投資の軟化、それに豪ドル高から打撃を受けたかたちだ。
 13年第3四半期の経済成長率は前年同期比2.3%だったが、昨年初めには4%にも達していた。

 アボット首相は、安全保障をめぐるインドネシアとの関係悪化のほか、海外投資の阻止をめぐる論争からも打撃を受けている。

 豪州での自動車生産が終われば、これらの対外問題とは比べものにならないほど大きな打撃を被る公算が大きい。
 労働組合や業界のロビイストらは、自動車業界が死ねば、経済に210億豪ドルの穴が開き、最大で4万5000の職が奪われると警告する。
 ビクトリアと南オーストラリアの2州の失業率は既に全国平均を上回っているが、両州は同国の製造技能を伸ばす主要拠点でもあるため、その影響は防衛などといったその他の産業にも及ぶ可能性がある。

 豪州産業連盟は、同国が医療、生物医学工学、それに農業といった分野で競争的優位に立っているが、資源開発の専門知識を輸出するなど、自国の強みをもっと生かす必要があるとも指摘している。


 この国はもはや大量生産品を作るような工業システムは生き残れない。



【 うすっぺらな遺伝子 


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2013年10月11日金曜日

『マルチシェフ』:オーストラリア製「イージー・クック」

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EasyCook MultiChef E970 Advertorial



 果たして日本の炊飯器はこのオーストラリアのスーパークッキングに勝てるのだろうか?
 味はどうだろう?
 まあ、バーベキューで満足できる国民だから、味は「気にしない、気にしない」


Pouch[ポーチ] / 4時間前
http://youpouch.com/2013/08/15/131832/

海外でも「炊飯器」料理が人気!? 
機能が充実したインスパイア商品も登場



炊飯器が単にご飯を炊くだけにとどまらない機器であることを、みなさんはご存知だったでしょうか。

 「煮こむ」「焼く」「ローストする」「ゆでる」などの行為はもちろん、なんとケーキまで作れちゃう隠れ万能機器、炊飯器。海外サイト『Mail Online』によると、どうやら海外で炊飯器が、『マルチシェフ』なる名前で売り出されている模様。
 へ~、米を主食としないからなのでしょうか、それにしてもよく考えたものですね!

 なんでも炊飯器、もとい『マルチシェフ』は、鍋・フライパン・オーブンの要素を併せ持つ優れモノ。
 これ1台あれば、ボタンひとつでカレーやシチューなどの煮込み料理から、ステーキ、ローストチキンとなんでもござれ。
 手入れもカンタン、なおかつ省スペースという宣伝文句がまた、消費者の心をこれでもかってほどにくすぐります。

 どこからどう見ても、完全に炊飯器。
 そんな『マルチシェフ』は、オーストラリアの会社『Easy Cook』から24000円ほどで発売されているみたい。

 また同じ名前で、イギリスの会社『Lakeland』からおよそ60000円で発売されている、炊飯器からインスパイアされているであろう商品もとっても興味深いので、合わせてご紹介しちゃいますね。

 こちらは炊飯器が持つ種々の機能のほか、「フードプロセッサー」「ブレンダー」「パン生地をこねる」などの機能が追加された驚きの商品。
 見た目は、炊飯器らしきもの、そして鍋とポットが合体している、といったところでしょうか。
 ちなみに同社からは『スーパーシェフ』という名前で、やはり炊飯器そのものにしか見えない商品も販売されているようです。

 世界で広がる、炊飯器の需要。
 これほどまでに万能な機器だったことを今まで知らなかったあなたは、かなり損してたかも!? 
 というわけで今後はご家庭で炊飯器料理、試してみてはいかがでしょうか。

▼『Lakeland』社の『マルチシェフ』、ビジュアルはこんな感じです


▼これ1台でこーんなディナーが作れちゃうの!







【うすっぺらな遺伝子】



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2013年10月10日木曜日

Japanese Dancers Charity Recital:華麗な舞のチャリテイーリサイタル開催

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 日本食品店にポスターが貼ってあった。
 『Japanese Dancers Charity Recital 』
  今度の日曜日である。
 1時から3時半までである。
 出かけてみようかと思っている。

 検索してみる。
 別のポスターが出てきた。




さて当日、ちょっと早めにいってみる。
 とうのは、時間が時間なので模擬店で焼きそばかなんかを食べようと思ったのだが。
 だが残念至極、何も出ていなかった。
 となりのパシフィックフェアーで昼食を済ませて戻ってくる。


● 演目とタイムテーブル


● 主な出演者の紹介

 『和太鼓絆』はここでは有名でいろいろ発信されているので省くとして、他の紹介された2つのグループを見てみる。

■まずは『ジャパニーズダンシング舞』


 『Japanese Dancing Mai』はこのチャリテイの主催者でもある。


 『祝い目出度』の冒頭部分を。



■次は『茨木絆の会:舞島正之輔』


 『出世佐渡情話』の冒頭部分。


 『舞島ソーラン』の前半部分。





【うすっぺらな遺伝子】



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2013年10月6日日曜日

吉村昭著『虹の翼』:松山:フライブルグ

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● 吉村昭著『虹の翼』 旧版表紙

 四ツ谷荒木町といえば飲み屋街で有名。
 津守坂通りという道をはさんで三栄湯という銭湯がある。
 そこは三栄町になる。
 このお風呂屋の脇の狭い道を鍵の手状に後ろの道にぬけると四ツ谷税務署がある。
 三栄湯の後ろ、クランク形の路地の脇にあたるところにあったのが航空神社。
 もちろん、本格的なものではなく路傍やビルの屋上に設置されているお稲荷さんに似た大きなオモチャみたいな神社である。
 なぜ、こんなところに神社がありそれも「航空」神社といったへんてこな名前がついているのだろうと不思議におもっていた。
 そのとき、ここは空き地で駐車場になっていた。
 もしかしたら、航空関係の出版社でも脇のビルに入っていたのかもしれない。
 だが、この近くにある三栄書房は「モーターファン」という雑誌を出していたが、モーター神社はなかったと思う。
 この間、日本へいったとき、改めてそこを通ってみたが、航空神社はいまはなかった。
 ニ、三十年も昔のことであるから已む得ない。
 
 先日見つけた古本が吉村昭著『虹の翼』。
 吉村昭の作品は相当読んでいるつもりであるが、このタイトルは初めてであった。
 この文庫本は旧版で字体も小さく読みにくいが、著者の力量だろう一気に読み切ってしまった。



 この旧版は「1983年9月25日」とあるからちょうど30年前に発行されたものである。
 古さの貫禄でセピア色に変色している。
 現在は新版が出ているので、読みやすくなっているはずである。

 この小説の主人公は「二宮忠八」といって、日本で最初に飛行器(飛行機ではなく飛行器)の原理を研究した人である。

 解説から引用する。

 軍隊の演習時に、カラスが飛び立つのをじっと観察していると、飛び立つときは両翼をあおるが、やがてそれを止め、両翼を上向きに曲げて滑空していく。
 そのとき、羽ばたかなくても上昇できるのは空気の抵抗ゆえだと思いつき、鳥や昆虫の翼面積、仰角度、体重比の観察記録を重ね、ゴム紐のコブの弾力を利用して四枚羽のプロペラ、さらに車輪をとりつけるなどして「鳥型飛行器」の模型を作って実験し、成功する。
 明治24年のこの実験は実にライト兄弟が世界初の飛行機を飛ばすことに成功する12年前のことだったのである。
 2年後かれは複葉の玉虫型飛行器の模型を作るのだが、人間を乗せるには相応の重量の動力を必要

とし、その製作には充分の資金がかかり、彼個人では無理と判断し、軍隊に委ねることにする。
 しかし、勤続する軍に三度にわたって飛行器製作の上申書を提出するが、残念ながらすべて蹴られてしまう。
 ついに自らが製作するしかないと心に決め、その製作費用を稼ぐために軍隊をやめ実業界へと転身する。
 そして、資金をため、実業界から半分身を引いて飛行器製作にとりかかったとき、西欧では同じ原理で飛行機が空を飛び始めていたのである。
 後日、二宮忠八はその研究を顕彰されるが、 しかし、飛行機による事故も多く、老いて二宮忠八は飛行機による殉難者の慰霊を思い立ち、自ら神主の資格をとって「飛行神社」を建立する、ことになる。


● 吉村昭著『虹の翼』 あとがき

 というのがこの本のあらすじである。

飛行神社

 公開日: 2012/12/29
模型といえども世界初の動力飛行機を発明した二宮忠八を祀った神社で、飛行機の安全、航空関係で働く人の安全などを祈って訪れる人も多い。
もともとは四国の八幡浜市で実験や活躍していたが忠八が大阪に移動したため同名の京都八幡市に神社ができる。

ライト兄弟よりも先に飛ばした、二宮忠八(飛行器) 

 公開日: 2012/07/21
二宮忠八 (1866年-1936年) 陸軍・松山連隊の薬剤手であった二宮忠八。
1891年4月29日 日本初の動力飛行。(カラス型飛行器)。 (高度1m、飛行距離30m) ...次に人の乗れる玉虫型飛行器を考案、
1893年に 設計を完了し試作実験に入る
1894年 日清戦争に出兵。 (独力で作るしかないと決意し軍を除隊)
1898年 大日本製薬㈱に入社し職工として活躍。(条件や資金も貯えられため)
1900年 京都府八幡町にて、完成に向けて努力。
1903年12月 アメリカのライト兄弟が飛行機を完成。 これにより、二宮忠八は、製作を断念。 (ライト兄弟の真似と評価をされるため)
1915年 飛行神社を創建。 (航空安全と航空事業の発展を祈願)
1919年 軍部は二宮忠八の研究を評価。

☆〈後世に広く認知されなかった理由〉
 「特許」という形にならなかったのも原因。
☆「飛行器」の名付け親。後、1901年森鴎外が「飛行機」と使用。
(飛行神社HP・二宮忠八飛行館HPや、
古典航空機電脳博物館HPの日本・民間航空の曙 など参考に) 
☆飛行神社(京都府八幡市)
飛行機によく使われる金属から、鳥居もジェラルミン製


 航空神社に飛行神社、なんとなく似ているが内容はまったくべつのものである。

航空神社
http://www.aero.or.jp/jinjya/jinjya.html
さて、航空神社の四ツ谷版を検索してみたのだが、そういうものはなくまるでひっかからなかった。
 小さな道端の社ですので、記録もなかなか残っていないでしょう。
 そのうち見つかるかもしれないという希望だけは残しておきます。


 二宮忠八は愛媛県八幡浜に生まれている。
 どこかというと、下の地図で松山の左下、佐田岬半島の付け根にあたる。
 その上の大洲は「おはなはん」で有名はところである。



 この春、松山・道後温泉にいったのだが、居続けで3泊した。
 計画時は別府に飛んでここで遊んで、フェリーで佐田岬にわたり、半島を縦断して大洲から松山・道後温泉にはいることになっており、宿泊も4泊から5泊を予定していた。
 だがどうも旅行時の移動というのが苦手で同じところに3泊でおさまってしまった。
 その関係でこの辺の地名は頭に入っており、本を読んでいても明瞭に地理関係を把握できた。
 実際、二宮忠八は看護兵として松山連隊に勤務している。
 そんなこともあって、この本、私にとって今年のは珠玉の一冊になった。

 ところで松山だが、個人的な話だが、私はここが好きになった。
 なぜかというと、何もかもゆっくり動いていることがいい。
 なにしろ「警察交番」で20分も案内をうけたほどの街である。
 つきつめていうと人は少ないことがなによりいい。
 生まれ育ちも東京なので、雑踏は怖くはないし嫌いでもない。
 でも、人がいない、少ないというのは何とも安心する。
 例えば家の近くのクリーク沿いの散歩道をいくと小一時間、まるで人に出会うことなく戻ってくることができる。
 ときに、今日は人によく会ったな、と思うことがあるが、それでも数人に過ぎない。
 何しろ人がいない。
 それがいい。
 松山はそうはいかないが、それでも東京よりかはいい。
 ド田舎へいけば人などいないよ、というが、それはそうだが、ネはやはり文明人であり、まったく人のいない無人島もどきはダメだろうと思う。


 以前に書いたが、息子はドイツに1年の予定で行っている。
 落ち着き先はフライブルクという都市。
 ご存知ない方も多いでしょう。
 実際、私もどこだかわからなかった。
 調べてみてそういう都市もあることがわかったほど。
 というのは、小さな都市で小学校の社会地図、ならびに中学校のヨーロッパ地図には載っていない。
 中学校のヨーロッパ詳細地図になってはじめて現れてくる都市である。
 場所はフランス、ドイツ、スイスという三国の境界から最も近いドイツの都市になり、もよりの飛行場はスイスのチーリッヒになる。
 人口20万人ほどである。
 問題となるのは、この街がなんと道後温泉の松山市と姉妹都市だということである。
 これには少々、因縁を感じてしまう。
 もちろん、だからといって何か大事があるわけでもない。
 ただこの春に、半世紀ぶり(これはサバの読みすぎだが)訪れてのんびりした道後の街であり、つい数日前に読んだ本の主人公の街であり、そして息子の滞在先の姉妹都市でもあるという偶然に少々驚いたということである。

 
Wikipediaでみてみる。



 上はドイツの地図だが、フライブルグはこの左下に位置する。
 左側はフランス、下側はスイスになる



● Wikipediaの写真

 松山は海に面している。
 しかし、フライブルグはアルプスの下になるので海とは無縁である。
 ではなぜそんなところと松山は姉妹都市となったのか。
ホームページで見てみる。


松山市ホームページ  更新日:2013年4月3日
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/kokusaikoryu/kokusaikouryu.html

姉妹・友好都市との交流

ドイツ・フライブルク市
〇提携の動機とその経過

 本市は松山市政100周年を記念して、昭和36年から友好都市として交流を続けてきたドイツ・フライブルク市と平成元年4月4日に姉妹都市を提携した。
 本市とフ市との出会いは、昭和36年に始まる。
 市の産業振興を図る本市が、戦後目覚しい復興を遂げた西ドイツの街へ青年の派遣を目指した時に、その青年を快く引き受けてくれたのがフ市であった。

その後、両市は、大学関係者や市民同士の民間レベルでの相互交流、本市助役一行の訪フ市等、地道な交流を続けてきたが、昭和60年のフ市長の来松を機に、両市の友好交流は大きな進展をみせた。

以来、本市中学生や、シルバー海外派遣団のフ市訪問、フ市からの留学生の来松や、両市経済交流代表団の相互訪問、平成6年4月には、市街地の公園内に友好のシンボルとなるフライブルク庭園が完成した。
 平成11年5月には姉妹都市提携10周年記念松山代表団がフ市を訪問するとともに、6月にはフ市代表団が来松しベーメ市長の参加を得た「地球環境シンポジウムIN松山」を開催した。
 平成12年7月には、友好親善代表団がフ市を訪問し、「文化交流の促進」等について両市の間で合意がなされ、姉妹都市交流をさらに実のある交流へと発展させている。



松山市ホームページ  更新日:2013年4月1日
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/kokusaikoryu/fraiburug.html


フライブルク市位置図

「森とワインとゴシックの街」フライブルク市★

■市名/Freiburg im Breisgau
■位置/ドイツの南西部。フランス、スイスの国境に近い。
■気候/平地は乾燥して暖かいシュヴァルツヴァルトでは風が強く寒い。
■人口/約23万人

 森とワインとゴシックの街、そしてエコポリスとして、注目されるフライブルク市と、交流の輪を広げています。

 フライブルク市は、中世文化の遺産を継承しようとする市民の熱意によって築かれた、中世初期の雰囲気が漂う素晴しい街です。
 市内には博物館をはじめ、13世紀初頭から3世紀を要して建てられたミュンスター(大聖堂)などの歴史的文化遺産も多く、特に近年は環境重視のまちづくりを進め、エコポリス(環境都市)として世界から注目を集めています。

 平成元年4月姉妹都市提携以来、両市は文化・経済・技術交流など多彩な文化を繰り広げています。
 平成6年4月には、市街地の公園内に友好のシンボルとなるフライブルク庭園が完成したほか、平成11年6月にはフライブルク市代表団が来松し、ベーメ市長の参加を得た「地球環境シンポジウムinまつやま」が開催されました。
 

 平成17年4月には、フ市から来松した5人の芸術家による作品展や、平成18年4月には本市の芸術家ら5名がフ市で「松山のアート展」として、作品展やワークショップなどを行い、また、平成19年1月にはフライブルク仮面演劇団による松山公演やワークショップを行うなど、芸術交流を中心に、姉妹都市交流をさらに実のある交流へと発展させています。

 平成12年7月には,友好親善代表団がフ市を訪問、新たな交流をスタートさせたほか、平成14年11月には、本市の市長がフ市で、また、平成15年10月には、フ市の新市長Dr.ディーター・サロモン氏が本市で、それぞれまちづくりに関する講演会や意見交換を行いました。

 平成20年10月には、姉妹都市提携20周年記念松山代表団がフライブルク市を訪問し、記念式典に出席しました。その際に、愛媛FCとフライブルクSCとの「フレンドシップ協定」が締結されました。式典では今後の両市の更なる交流を確認しました。

 平成21年4月には、フライブルク市代表団が来松し、Dr.ディーター・サロモン市長が基調講演した「ゼロエミッションまつやま」が開催され、両市の環境施策の紹介がされ、更なる両市の協力を確認しました。他にも、議会・教育・スポーツ・環境分野の視察をしました。


息子がどのくらい滞在するのかわからないが、時期が合えば行って見たい気もする。
 私はあまり旅行好きではないので、これまで一度もアメリカもヨーロッパも行ったことがない。
 もし出かけることになったら、「小生一世一代の海外旅行」となるかも。




【うすっぺらな遺伝子】



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