2013年1月14日月曜日

『死ぬ気、まんまん』:在住シニア向けサークルの発足

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 ポストに入っていたのが上のパンフレット。
 日本語版という親切さ。
 だが、どうしてここに日本人が住んでいるのかわかったのだろうか不思議。
 つまりですね、

 オマエはもうジジ-だから、老後のことを心配せよ

というお達し。
 「てやんで ほっとけ」
と言いたいところだが、
 「ウーンそうだ」
と素直に納得してしまう。

 スキャンが薄いので一体何が書いてあるのかわかりにくいので、書き写してみます。
 これがオーストラリアの介護情報のエッセンスだと思ってください。

 高齢者介護施設についての情報
  コミュニテイー・パートナー・プログラム
  The Community Partners Program(CPP)

高齢者介護施設
 人生のある時期になると、誰もが人の助けが必要となり、自宅で一人暮らしができなくなることもあります。
 病気になったり、身体が不自由になったり、近しい人に不幸があったり、緊急を要する状況になったり、あるいはあなたまたは介護人の方が助けなしでご自宅にいられなくなったとき、高齢者介護施設の利用が適切かもしれません。
 このパンフレットは地域社会でご利用できるオプションについての情報、そして高齢者介護施設をお選びになる際に何をなすべきかについての情報を提供します。
 高齢者介護施設は24時間体制の介護、日常生活で必要なことや身の回りのお世話などお手伝いします。
 完全入所のほかに、レスパイト・ケアとして知られる短期入所が利用できます。

 把握しておくべきこと:
お住まいの地域にはどのような高齢者介護施設サービスがあるか
●それらのサービスにはどのようにしてアクセスするか
●サービスに高齢者介護施設かかる費用
●どのようなサービスが提供されるのか
 介護を提供するためにはオーストラリア政府の認可を受けていなければなりませんので、この点にご確認下さい。
 
特定の文化および言語に対するニーズ
 高齢者介護施設は多様な文化および言語背景の方たちに介護を提供することができます。
 言語、文化または宗教上のニーズがありましたら(例えば、あなたの言語を話す人がいる施設、あるいは似たような宗教を信仰している人たちがいる施設にしたい)、入所を検討されている高齢者介護施設を訪問された際に、お尋ねください。
 高齢者介護施設によっては、似たような文化、言語および信仰の人たちが既にいる施設もあります。
 またゴールドコースト周辺には、多文化地域社会評議会ゴールドコーストが、高齢者介護サービスと緊密に連携をとり、適切なサービスおよび介護ができるように支援しています。
 同評議会では皆様のサービスニーズの確認のお手伝いができるかもしれません。
 同評議会の連絡先は、このパンフレットの末尾をご参照下さい。

高齢者介護施設が提供するサービス
 高齢者介護施設は幅広い種類の介護およびサポートを提供します:
●入浴、シャワー、着替え、移動などの日常生活の支援
●お薬を服用する際のお手伝い
●食事制限がある場合はそれも考慮に入れた食事やおやつ
●カーペット、カーテン、椅子、ベッド、シーツなど生活に必要な家具など、基本的な家具(あるいは、ご自分のものを持参されても結構です)
●洗濯と清掃、建物や敷地のメンテナンス
●社交行事

 さらに高度なレベルの介護が必要な方には追加サービス(排尿排便の補助、基本的な医療および薬剤、介護サービスや代替療法)も提供されます。

高齢者介護施設のタイプ
 高齢者介護施設にはレベル介護とレベル介護があります。
 低レベル介護施設(旧ホステル)は宿泊施設、着替えやシャワーなどの身の回りのお世話、社交行事、そして時として介護を提供します。
 高レベル介護施設(旧老人ホーム)は体が非常に弱くなった方、認知症の方、そして継続的な介護を必要とする方に介護を提供しています。

どんな人が介護してくれるのですか?
  高齢者介護施設サービスの入居者は、資格を持った介護士および正看護士などから、介護サービスを受けられますので、ご安心ください。
 住人は医師からのサービスも受けることができ、これは通常介護サービスが手配します。
 また、ご利用の施設にあなたの代わりに医師を呼んでもらう、また希望の医師を呼んでもらうこともできます。

介護施設への5つのステップ 
 介護施設に入居すべきかどうかを検討される際は、次の5つのステップに従ってください。
 1.入居資格の評価
 2.高齢者介護施設を探す
 3.費用を計算する
 4.申し込む
 5.入居と施設での生活への順応
 ご希望にそう高齢者介護施設サービス提供者を探し、関係サービス提供機関にも連絡する必要があります。
 特に、高齢者介護評価チームやセンターリンクに連絡して、入居資格を確認してください。

 以下の点を理解しておく必要があります:
○.高齢者介護施設とは何か
○.高齢者介護を受ける資格があるか
○.高齢者介護施設に新生する方法
○.どのような情報を提供する必要があるのか
○.高齢者介護施設への入居を決めてから入居の前後に何をする必要があり、どのような生活になるのか

 詳細については、以下までお問い合わせください:
 高齢者およびコミュニテイケア情報ライン
 (Aged & Community Care Information Line)

 連邦レスパイトおよびケアリンクセンター、サウスコースト
 (Commonwealth Respite & Carelink Centre South Coast)

 上記の電話サービスは、携帯電話からの場合を除き、無料でご利用いただけます。

高齢者介護施設への入居には料金がかかるのですか
 高齢者介護施設の料金は異なります。
 料金の種類としては、日ごとの介護費や、滞在費などがあります。
 あなたが支払う料金は、ご自身の収入と資産により定められ、ご利用になるサービス提供者や高齢者介護評価チーム(ACAT)およびセンターリンクが行う評価プロセスを経て決定されます。

料金を払うことができない場合
 介護料金を支払うことができない場合、オーストラリア政府が補助金を出し、介護を受けることができるようにします。
 政府から高齢者介護施設に補助金が支払われ、利用者の支払い能力にかかわらず、他の人と同じ水準の介護を受けることができます。

 詳細は、1800 500 853 の高齢者および地域社会ケア情報ラインに連絡し、補助金を受ける資格があるのかどうかを相談して、申請書類を受け取ってください。

詳細は:
■ 高齢者介護施設おypびサービスにアクセスするためには、以下までご連絡ください:
 多分家地域社会評議会ゴールドコースト
 (The Multicultural Communities Council Gold Coast Inc.)
 電話:
 ファックス:

■ 介護ニーズを評価してもらうのは、以下までご連絡ください。
 高齢者介護評価サービス
 (The Aged Care Assessment Service (Gold Coast))

 電話:
 ファックス:


■ ご自身の資産と収入がどのように高齢者介護に影響するのかについてのお問い合わせは、以下までご連絡ください。
 センターリンク(Centerlink)
 電話:

【ご自分の言語でお話できるよう、これらのサービスは通訳を手配することもできます】

☆オーストラリア健康老人問題省からの援助より提供


 以前は郊外の一軒家に住んでいたが、芝刈りのハードさにイヤケがさして、今のところに引っ越してきた。
 団地の中の4軒棟割り長屋の一角。
 団地といっても高層団地ではなく、日本風にいうと「**住宅」といったところで、簡単な板塀に囲まれた中に100戸あまりの木造家屋がある。
 一戸建てはなく、皆、2軒長屋か4軒長屋で、日本風でいうとテラスハウス、こちらではタウンハウスという作りになっている。
 各住戸は所有者がいて、その人が住んでいるところもあれば、貸し出ししているところもある。
 おそらく、その割合は半々くらいだろう。
 管理人がいるので、すべてはそこまかせ。
 我が家は4軒長屋の真ん中なので、両サイドは壁を隔てて隣家ということになるのだが。
 小さな庭もあリ(10坪ほど)、別に若干の芝刈り費用をとられるので、放っておいてもいい。

 ここに引っ越してくるとき、老後住宅を2軒みて回った。
 こういう所にはどちらか一方が55歳以上なら入居できる。
 メルボルンのような気候の激しいところから老後でやってくるリタイヤメント地としてはナンバーワンの場所。
 サーフィンの若者のメッカと並んで、リタイヤメントのシルバーコーストとして著名なところでもある。
 四季はあるが気候は温暖で、社会施設生活施設も充実していてすこぶる快適な土地なので、オーストラリア中から老人が集まって来る。
 大規模な住宅地が開発されるときは、だいたいリタイアメント・ビレッジの設置が義務付けられている。

 初めのはできたばかりで入居者募集中のもの。
 コンクリートの2階建てが中央の広場を取り囲むように配置されたビレッジ。
 ホールや食堂、ローンボールなどの老人施設が完備されていた。
 近くのメデイカルセンターと契約していますので安全です、とのこと。
 でもね、低層マンション全体がオジンとオバンで、ドアをあけると、オジンとオバンだけが行き交うコンクリート廊下となると、これストレスが溜まるよね。
 部屋は広いのだが、バスタブ(浴槽)がない、シャワーだけ。
 いわく、「溺れる方もいるので、つけてません」
 確かに乾燥気候なので、汗をかいてもすぐひくから、ジャボンはいらないのだが、それでも夏場、汗をかいたという記憶があるときは、ゆっくり浸って肌をごしごしと洗ってみたいよね。
 風呂あがりのビールなんてやっぱり最高だから。

 二番目のは住戸風の施設。
 広い団地敷地に一戸建てと棟割りニ軒長屋のスタイル。
 すべて老人向けに平屋建て。
 おそらく100戸を超える住戸がつくられるのではないだろうか。
 充分に広く、室内はすこぶる豪華に作られていた。
 小さいながらも庭もついていた。
 政府からの援助金も出ているとのこと。
 まだ建設中で、一部が完成していた。
 広いので係の人が電気カートでグルグルと案内してくれた。
 医者は常駐ですとのこと。
 連絡がに二、三度きたが、やめた。
 高い。
 普通の住宅を買うに匹敵する。
 これは小金持ち用の施設である。

 この2つに共通していることがある。
 どちらもショッピングセンターの隣だということである。
 気楽に歩いてショッピングセンターに出かけられるようになっている。
 自由に買い物をして食事が作れるようになっているというわけである。
 車社会なので、車の運転ができないと、マジに孤立する。
 そのために、ショッピングセンターの近くに作られているということだろう。
 ショッピングセンターにはカフェテラスなどあるので、いっときのくつろぎの空間も設えられている。
 
 てなわけで老人施設には入らず、普通のタウンハウスで生活している。
 当然、就労している大人も、子供もいる。
 黒人もいる。
 ウルサイけど、これのほうが活気がある。
 でも、やはりウルサイことは確か。
 となりは、マオリ族。
 昨年のクリスマスからニューイヤーすぎまで、NSWから大挙して一族もどきが押し寄せてきた。
 この狭い家にどうやって寝るのだろうと考えるほど、子供含めて10人ほどに膨れ上がった。
 週末の夜になると、ドンチャン騒ぎ。
 ズズズ~ンと低音の響き。
 マオリ太鼓のレコードだろうか。
 これがかかると、間仕切りの壁がブルブルと震える。
 あきらめるしかない。
 年に一度のことだから。 
 
 さてさて、一昨日図書館へいったら下の本があった。
 タイトルがいい。


●『死ぬ気まんまん』佐野洋子著 211年6月 光文社刊

 ただ「生きろ、生きろ」というのは似非ヒューマニズムで大嫌い。
 還暦を過ぎたら、
 「もう十分、人生を楽しませてもらいました」
とならないといけない。
 昨夏、原発の停止で電気事情が逼迫して、省エネになったという。
 夜、エアコンを付けない老人が熱中症で亡くなったという。
 「幸せなことだったな」
と感じた。
 昔は、そうやって一晩で自宅で死ねたものだ。
 ところが最近は人工環境になってしまったために、そう簡単には死ねなくなってしまった。
 やたらと生かされてしまうことになる。
 「長生きが人生の最大の幸福なんだよ」
と繰り返し繰り返し吹きこまれ、洗脳され、死ぬことを放棄してしまったのが現代老人だ
 無理に長生きを強いられ、死ぬときは病院のベットで管につながれて死ぬのである。
 それから、比べれば、一晩であっさり死ねればこれにこす幸せはない。
 痛みもなければ苦しみもない。
 それより、家族に迷惑をかけない。
 当人も周りも、すべてがハッピーである。
 やたらと人工環境の中で生きるのが人間というものでもあるまい。
 現代は老人にとって最悪の環境である。
 などと書いたら、きっと非難ゴーゴーだろうな、と思っていたら、結構それに似かよったことを考えている人もいるもんである。
 それがこの『死ぬ気まんまん』。
 著作権に触れない程度に、抜書きしてみよう。


 ガンが再発して骨に転移した時、お医者は、死ぬまでに治療費と終末介護代を含めて一千万円くらいだろうと言ってくれた。
 ほぼ70歳くらいで、私は金がかからなくなるはずである。
 私は抗癌剤を拒否した。
 あのまったく死んだと同じぐらい気分の悪い一年は、そのために一年延命しても、気分の悪い一年の方が苦しいのである。
 もったいない。
 そうでなくても老人は身障者につき進むことである。
 70歳前後はちょうどいい年齢である。
 まだ何とか自分で自分の始末はできる。
 私はとてもいい子で生きてきたにちがいない。
 神様も仏様もいるのである。
 そしてちゃんと私に目を留めてくれたのだ。
 
 私はだらしなく、やるべきことをずるずるのばし、整理整頓が下手で、考えると頭のなかの整理整頓が私の部屋のように散らかしっぱなしだということがわかった。
 父がよくどなっていた。
 「お前は、みそとくそとが一緒か !!」
 はい父ちゃん、私はみそとくそとが一緒です。
 それから父は夕飯の時、かならず訓示をたれた。
 「金と命は惜しむな」
 父は命も惜しまず早死にして、母ちゃんは大変だった。
 惜しむ金もないまま死んだ父はやっぱり、かわいそうである。

 親が早く死ぬのも悪いことばかりではない。
 のびのび自由になれるのである。
 父が長生きしたら、今の自分があるかどうかわからない。
 私は大いなるファザコンである。
 ファザコンは肥大するばかりである。
 だから私は命を惜しまない。
 金も惜しまない。

 根が貧乏性の私は物欲がないのである。
 食欲もないのである。
 性欲もないのである。
 もう物をふやしても困るのである。
 もう男もこりごりである。
 七十でこりごりと言うと笑われる。
 今からお前、男をつくれるのか?
 はい、つくれません。
 
 私はガンになっても驚かなかった。
 二人に一人はガンである。
 ガンだけ威張るな。
 もっと大変な病気はたくさんある。
 リューマチとか、進行性筋萎縮症とか、人工透析をずっとやらねばならぬ病気とか。
 ガンは治る場合も大変多い。
 治らなければ死ねるのである。
 皆に優しくされながら。

 私はウツ病と自律神経症失調症の方がずっと苦しかった。
 ウツ病は朝から死にたいが死んではいけない病気である。
 自殺は周りに迷惑をかける。
 私は息子がいなかったら、ウツ病で死んでいたと思う。
 親が自殺した子供にしたくなかった。
 あの時は子供に命を助けてもらった。
 私はガンの人には同情できないが、神経系統の病気の人には心優しくなる。

 私は闘病記が大嫌いだ。
 それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ
 ガリガリに痩せて、現場で死ぬのなら本望という人も大嫌いである。

 小田実が、私と同じ病院で死ぬ直前までカメラを病室に入れて、おのれの信念を語っていた。
 その中の映像に何年か前のルポが入っていて、彼は西ベルリンのブランデンブルグ門の前に立っていた。
 壁が壊された直後、あるいはもっと後にかもしれない。
 「見てください。ここも、こう壁でふさいじゃったんですよ」
と門の真ん中で言っていた。
 それは嘘です。
 私は東西に分かれていた時、ベルリンにいました。
 壁なんかありませんでした。
 門から両方とも2メートルくらい前に綱を張っていただけでした。
 日曜日など時間を決めて、東西に分かれてしまった親戚なんかと大声を出して話をしていました。
 東の子供は赤い三角巾をして同じ言葉を話しているのが、私にはとても胸をギーギーこするみたいな感じがして、目ン玉の表面にうすく氷が張ってきて、人間の観念はおそろしいとおもいました。
 小田実の同じテレビを見ていた日本中の人が誤解すると困るから、私が訂正します。 

 あれから、私はいかなる思想も信じないことにした。
 目の前で見たもの、さわったものだけがたしかだとしか思えなくなった。
 テレビのニュースも用心している。
 報道というものは、なんによらず用心している。
 それは私が自分で決めたことかどうか、わからない。
 ファザコンの私は、父が
 「活字を信じるな、人間は活字になると人の話より信用するからだ」
と夕食の訓示に何百回も言っていたからかもしれない。

 死ぬのが全然こわくないのも、ファザコンなのかもしれない。
 父が同僚の見舞いに行った。
 ガンだったのだろう。
 帰ってきて、

 あれはみっともないな、オレの顔をみて、死にたくない死にたくないって泣いていた。
 あんな死に方はみっともないなあ

 と母に言っているのを聞いてしまった。
 死に方の美学というものがあったのだろうか。
 そのとおりに父はアウシュビッツの囚人のように骨ばかりになって、昏睡状態に陥るまで壁をつたってトイレに行っていた。
 そして、静かに、何も言わずに死んだ。



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  その後
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 『NICHIGO PRESS 2月号』に出ていたのが下の記事。



そう、そういうことである。
 シテイ・カウンシルの取り組みに合わせてジャパン・コミュニテイも活動を開始したということである。
 そのうち、ご厄介になるかも。
 いや、絶対に世話にはならない、まあそういう気張りが老いても元気(死ぬ気はまんまん、なのだが)を支えているのだろう。



【 うすっぺらな遺伝子 


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